一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

健康問題と自己責任について(その1)

今日は健康問題と自己責任についての私見を述べます。
私は今現在、万全の体調ではありません。が、気持ちは頗る元気です。

なぜか?それは生きる希望があるからです。生きる意味を実感できるからです。

あまり力まず、かと言ってだらだらと日を過ごすでもなく、今出来ることを誠意を持って従事しようと心掛けています。
私は大した取り柄も能力もありません。一介の看護師として生きて来ました。

そのような私でしたが老齢に差し掛かった頃、「シルバーバーチの霊訓」に出合いました。そこで今まで知り得なかった叡智に触れることが出来たのです。

 知ることが”遅すぎた”ということは決してありません。譬え、死の床に就いていたとしてもです。
「死」は全ての終わりではないことを、私はこの霊訓を通して学びました。死んでも人間は生き続けるというのです。この地上世界に生きるということは、永遠の霊界生活のための訓練、つまり人間として成長するための学校生活に当たります。
学校は学ぶために存在します。その基本の基本はどのような事柄かというならば、次のようなことと言えるでしょう。
「人間とは何か」「死とは如何なることか」「霊界は在るのか、在るとしたらどのような所か」「神は存在するのか、存在するとしたら、如何なる存在か」「では人間は何のために存在し、如何に生きるべきか」などです。

テーマに自己責任ということを挙げました。そして、今私の身体は万全ではない、と申しました。これは自己責任と言えるのでしょうか。
このことをこれから少し見ていきたいと思います。

私は子供の頃から頻繫に病気をしていました。2歳の時終戦を迎えて食べるものが不足し、栄養不足の状態で成長せざるを得ませんでした。周囲の人達、学校の教師達も結核でばたばた死んでいきました。私も幼い弟2人と共に結核になり半年間休学せざるを得ませんでした。その後も貧血、脚気、肺炎等を患ってきました。長じて看護師として働いてまいりました。
看護師の仕事は過酷であり、健康上の不調は時々ありました。そうして定年少し前に職を辞さざるを得なくなりました。更に、ここ10年間は幾つもの病気を体験することとなりました。
さて、全て私自身の至らなさゆえの不調であったと言えるのでしょうか。
自己責任と言えるのでしょうか。

確かに、暴飲暴食の果てに肥満、高脂血症、糖尿病、心筋梗塞など、いわゆる生活習慣病といわれるものは自己責任である、と言われてもしかたがありません。
病気、災害などの中には、本人の力だけではどうしようもない事があります。例えば、地震、台風などの自然災害、戦争、紛争などの人為的なもの、それから、インフルエンザ、その他の感染症もそうです。
更に、環境汚染による諸々の障害も挙げることが出来ます。
よく聞かれる言葉に「自分はガンになってしまった。なにも悪いことはして来なかった、何と運の悪いことか」と。

確かに沢山の善男善女が謂われもなく、病気に見舞われているように見受けます。
「神も仏もないのか!」と天を仰ぎ恨み言を申します。
地上的に見るならば、確かに本人には全く責任の取りようもないことのように映ります。それでも、永遠の人生ドラマからはまた違ったものが見えてきます。

あなたはどの様に思うかは分かりませんが、「カルマ」という因果律が存在するのです。これについてはこれから、触れる機会があれば取り上げたいと思います。
つまり、地上的な捉えでは理解出来ない永遠の摂理が存在し、それが今地上人生を歩んでいる私たちにも作用しているということです。

しかし、ここで勘違いしてはならないことがあります。
一つの例を挙げて考えてみましょう。

地震多発国に住む私たち日本人は、いつそうした災害に見舞われるかもしれません。
しかし、初めから諦めてしまってはならないということです。地震を防ぐ手立ては今のところ在りませんが、被害を最小にする努力を怠ってはならないのです。

先日、東京直下型地震震度7という地震が発生したという架空のドラマがNHKから放映されました。このような地震が起きる可能性は30年以内に70%の確率ということが、すでに知られています。

ご覧になったかたも多く居られることと思いますが、私たちはそうしたことに無関心であってはならないのです。日々の努力、工夫が必要です。
私はただちにブレーカーを見に行きました。恥ずかしながこれまでブレーカーなるを触ったこともなかったのです!

こうした努力により自分自身の運命をかえることも可能となるのです。如何とも仕様のないカルマ、宿命であるならば、それはそれとして受け止める心の姿勢が必要となるのでしょう。私はそのように考え、替えられない宿命ならば喜んで受けようと決めています。

このページを終えるにあたり、もう一度自分自身の病気に関して一言述べてみようと思います。50代中ごろから、管理職ということもあって、昼間の勤務にプラス、当直という仕事が加わり、心身ともに堪えがたくなってきました。
心臓への負担は重くなり、心房細動の発作の頻度が増して来ました。
この時点で退職していれば、あるいは今日の心不全の状態には至らなかったかも知れませんが(これは結果論であり本当かどうかは誰にも分りませんが)、その時は職を辞することはできませんでした。年金を需給する為には、後数年働く事が必要だったからです。

これは職を辞するか、あるいは心臓に負荷を懸けながら働き続けるかの選択です。
どちらかを選択しなければなりません。
人生にはこうした選択を迫られることは多々あります。そして、あの時違う方を選択していれば、などと”後悔”することも起こります。しかし、どちらを選択したところで、”後悔”をするかも知れません。
その時自分は精一杯考え抜いて結論を出したのだという自負心が必要となります。
その結果、負うべき荷は潔く背負って行こうと今は思っています。