今日は健康問題と自己責任の続きを書きます。
我が国は少子高齢化という、かって経験したことのない困難に直面しています。国家の存続にも関わる問題といえます。
医療費はひたすらに高騰し、ついに2018年度の概算医療費が42兆円を超えたということです。これは国家予算の44%に相当します。
医療費の高騰は少子高齢化だけによるものではありません。医療技術が進歩したこと、皆保険によって誰でも医療にアクセスしやすいこと、なども後押ししています。
今、政府は年金・医療・介護の社会保障全般を見直そうとしています。
例えば、75歳以上の後期高齢者は保険料の軽減措置を縮小しようとしています。
こうした取り組みで医療費の高騰に対処しようとしています。
しかし、ここにはそもそも人が病気にならないようにする、病気を予防して医療に罹らないようにする、つまり「予防医学」という視点が見られないのです。それでも、一昨年ようやく一部の有志議員による「明るい社会保障改革研究会」なるものが立ち上げられました。「予防、健康」づくりをうたっています。
現在の医療は病気になるのを待っているのです。病気にならなければ、医療は始まらないのです。
日本の健康保険では診断と治療のみを給付対象としているので、例えば糖尿病にならないと医療給付はできない、糖尿病予備軍の段階では医療給付は受けられないのです。
つまり医師は糖尿病予備軍の患者では保険点数を稼げないので、時間を賭けて丁寧な保健指導したがらないのです。お金にならないからです。
ある研究によると、糖尿病患者の4/5は、血糖のコントロールが出来ていない、病状の悪化を防げていないというのです。
その先にあるのが腎透析という最悪の結果です。
腎透析について少し述べてみます。
日本は「人工透析大国」なのです。
日本透析医学会の統計資料によれば、2017年の透析者数は33万人超えで、年間医療費は1兆8000億円ということです。これがどのぐらい途方もない額なのか、概算医療費が42兆円ということからも解ります。
精神疾患についても、患者数は28万人、年間医療費は1兆4000億円という数字です。
私の場合を見てみます。
病気を悪化させない、早い段階での適切な対処は出来ていたのであろうか。
私は40歳代から心臓の弁の異常を指摘されていました。しかし、そのときは自覚症状がなかったため、看護師であるにもかかわらず放置していました。担当医からも注意はありませんでした。
放置してなんらケアをしなければ将来どうなるか、これを考えられないという本当に情けない看護師でした。そして、今現在70代で心不全という状態です。それでも健常人の60~70%の機能は保持していますので、無理は出来ませんが日常生活にさほど問題はありません。
多分ほとんどの人は、譬え医療者であったとしても、私と同様な道を歩んだであろうと思います。障害が身に迫って初めて何とかしなければ、と思うのです。
今はしみじみ思います。人間はもっともっと思慮深くなければならないと。
しかし、これは医療のシステムの問題でもあるのです。
「出来高払い」というシステムであり、(どれだけ検査をしたか、どれだけ薬を処方したか、どれだけ手術をしたか、などの医療行為に応じて診療報酬が得られる)優秀な医師でも、未熟な医師に懸かっても診療費は同じ、健康指導だけでは保険点数にならない、というものです。
「予防医学」とは病気にならないようにする、という取り組みです。
スピリチュアリストの私が何故にこうした極めて現実的な問題に関心を示すのでしょうか。私は医療者でした。放っておける問題ではありません。
スピリチュアリズムは単に霊と精神に関する問題だけを扱うわけではありません。
人間は霊が主体ではありますが、さらに精神と肉体から構成されています。それ故に肉体は大切に扱わなければなりません。十分な知識と配慮とが必要なのです。
決して無視したり、軽んじたりしてはならないのです。
では「予防医学」にはどのような取り組みが必要でしょうか。
*現役時代から正しい生活を送ること。(もっと言えば幼少の頃からの)
正しい生活に関しては何れ項を変えて書いてみようと思います。
*検診などで早い段階で異常に対処すること。
これにより、病気を予防したり重篤にならないようにできます。これこそ”自己責任”と言えるでしょう。(ただし、この検診なるものにも落とし穴があります。これについても述べる機会があれば、そこで書きたいと思います。)
誰かが導いてくれるのを待つのみではなく、各自が国民としての自覚のもとに責任の一端を担うべきと思います。
これこそが、医療費の高騰による国家の破たんを免れる手段でしょう。少子高齢化だけが問題の原因ではないのです。
*実業家の堀江貴文氏を発起人として2016年に「予防医療普及協会」が
活動を開始しています。
どこまでの踏み込みが出来るか、期待するところです。