一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

アドラー心理学に学ぶ

 

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人間にとっての幸福とは何か。これは哲学が一貫として問い続けてきたテーマです。 そして心理学も又自分を知り、人間存在を知り幸福になるためのアプローチを模索してきました。
学問分野での区別はありますが共に人間存在について、そして幸福についての学問ということになります。 

最近アドラー心理学についての著書を読みました。かって、ユング心理学を学んだ時期もあり、心理学とは「分析心理学」が最高である思っていました。ですからアドラー心理学については名前こそ承知していたものの、その内容に関しては全く知りませんでした。というより当時は知る必要さえないとの位置づけをしていたように思います。

200万部を突破しベストセラーとなった、「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」(著者:岸見一郎 / 古賀史健 ダイアモンド社)2冊を読みました。

ルフレット・アドラー(1870~1937)はオーストリア出身の精神科医・心理学者で、フロイトユングと同時期の人物であり個人心理学(アドラー心理学)を確立しました。
アドラー心理学には「常識へのアンチテーゼ」という側面があります。
フロイトらが主張する原因論を否定し、トラウマを否定します。人生において他者の承認を求めないこと、課題の分離を提唱します。

そして私が最も感銘を受けたのは、「自立」についての考え方に在ります。

「幸せになる勇気」の152ページからの一節を引用します。

褒められることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっと褒められる」を求めます。その人は「依存」の位置に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになる。
「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方「私」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。それが本当の個性というものです。

私はスピリチュアリストを自認していますが、日々の歩みの中で迷い悩むことは多々あります。今最も明らかにしたい課題はこの「自立」ということでした。
いつも自信のなさに翻弄されてきたように思います。
そしてもう一つ、自立に関連するが重大なことに気づくことができました。

アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、全ての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。
横の関係とは対等な関係ということです。上下関係ではないのです。そしてまた、劣等感とは、縦の関係の中から生じてくるというのです。これもとても合点のゆく点でした。
縦の関係というのは、(介入について見てみると)対人関係を縦で捉え、相手を自分より低く見ているからこそ、介入してしまうというのです。相手を望ましい方向に導こうとする。自分は正しくて相手は間違っていると思い込んでいるのです。
介入しないということは、今困難に遭遇している人を放っておくことではありません。つまり「介入」ではなく,「援助」が必要というのです。そしてその援助とは褒めることではなく、勇気づけることであると言うのです。
褒めることとは相手に「能力がない」ということを意味します。褒めるということは能力のある者がない者に下す評価そのものであるからです。

思い悩む・不安・心配というマイナスの思いが生じるということは、真理の理解が十分ではないことを物語っています。真理を本当に理解するならば、心配や不安など一切生じるはずはないからです。それでも尚真理を受け入れたとしても、それを現実の生活、対人関係に生かすことが出来ない、という困難さを感じるのは私だけではないように思います。スピリチュアリズム普及会ホームページの11.スピリチュアリズムへの敵対者との戦いの中に次のような一節があります。

譬え真理を受け入れた人間であっても、一定の霊性レベルに達していないかぎり、実感を持って真理を理解することが出来ません。“知”では分かっていても、“情”では納得できないという状態に陥ってしまいます。霊性が未熟で「魂の窓」があまり開いていない人の場合には、霊的エネルギーを少ししか取り入れることが出来ないために肉体的感情に支配されるようになり、霊的世界に対する実感を持てなくなるのです

この文章の中の“情”での理解、とはどういうことなのか・・・。 私が思うにはこれまで述べて来た「自立」「縦の関係」が関わっているように思います。

私はこれまでの人生で縦の関係で生きてきたために、その囚われの中での思考がすっかり習い性になってしまっていました。これが障害となり、真理をストレートに情のレベルに届かなくなっていたように思います。
ところで「縦の関係」という言葉からは、幼少のころの親への絶対なる信頼、安心感の獲得、といったプラスのイメージと、大人になっても自立できないマイナスのイメージとがあります。後者としては、依存、甘え、責任転嫁、卑屈さ、劣等感、嫉妬、猜疑心などを挙げることが出来ます。

霊性が高い・低い“ということは地上に誕生した時から、すでにある程度決まっているでしょうが、誕生後にどれだけ努力したかが大きく作用します。
その努力とは利他愛の実践であり、また己を知り足らないところを補い誤りを正す、そして苦しみに対しての正しい対処、という絶え間ない日常生活での戦いでしょう。 この戦いは小さいことから、人生を左右するほどの大きなことまで実に多様であると思います。
スピリチュアリズムを受け入れたといっても、その時点までの人生で様々なことを体験しており、間違った考え方、習性が魂に沁み込んでしまっていることもあります。
それを真理に照らして間違いを捨て、新しい価値観を習慣化するには、殆ど気の遠くなる道のようにさえ感じられます。 それでも希望はあります。気づいた時から実践することで成長進化は約束されます。この道は永遠の道なのです。喜びの中に歩めるのです。これを祝福と言わずに何と表現できましょうか!

人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーは極めてシンプルな回答を用意しました。即ち、「私は共同体にとって有益である」「私は誰かの役に立っている」という想いだけが、自らに価値があることを実感させてくれる、というものです。
これはまさに霊的真理の訓える「利他愛の実践」を彼の言葉で述べたものです。
アドラーは地上生活中には多分スピリチュアリズムに出合っていないであろうと思われます。時代的には可能であったでしょう。それでも彼は己に託された地上での仕事を自身の全てを懸けて臨んだことが伺われます。尊敬すべき大きな魂の持ち主でした。