一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

認知症について~その①

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先日、認知症研究の第一人者で、ご自身が認知症になった長谷川和夫氏のドキュメンタリーをテレビで見る機会がありました。老人医療、介護に関わる者なら誰もが知る精神科医で、1974年に「長谷川式簡易知能評価スケール」を発表、日本老年精神医学会を創設、学会を牽引、認知症の研究、診療の第一人者として活躍されてきた方です。

氏は現在91歳になられ、認知症デイケアセンターに通所されているようです。
奥様とお嬢様に支えられつつ、落ち着いて穏やかな日々を送っておられる様を拝見する事ができとても安堵しました。事実、物忘れはあるでしょう。日常生活では何かと不都合があるでしょう。しかし、たとえ認知症になったとしても、悲観する事はないと感じました。これまでの人生において、沢山学び人々に廣く貢献してきた事によって培われた人格の高潔さが伺えました。

もう一例、少し前のことになりますが、レーガンアメリカ大統領が全世界に向けた手紙の一部をここで取り上げてみます。(彼は2004年6月に93歳で肺炎で亡くなっています。)

「ですから、私は私がアルツハイマー病であることを皆さんに知ってもらうのは意味のあることであると考えています。こうして皆さんにお伝えすることによって、アルツハイマー病への関心が高まることを心から願っています。そうすればこの病気に罹った方やその家族の苦しみを理解することにもつながるでしょうから。今のところ、私はとても元気です。私は残された日々を、これまで過ごしてきたのと同じように過ごすつもりです。これからも同じように、愛するナンシーや家族と人生を分かち合います。(中略)私のアルツハイマー病が進行するにつれ、残念ながら、家族は重荷を背負うことになるでしょう。ナンシーをこの苦痛から解放する方法があれば、と思います。そしてその時がくれば、皆さんの助けを得て、ナンシーは信念、そして勇気をもってそれに直面すると私は信じています。」

なんと率直で気高い内容かと、改めて想いを深くしました。

人は高齢になってそれまでの人生の刈り入れを致します。
無知で我がままな生き方であったか、それとも他の人のために喜んで生きてきたか、人生の刈り入れの時に結果が示されるのです。

老齢期の看護、介護に関わって来た私達が度々口にする言葉に、「認知症になるとその人の素が出る」というものがあります。本当にそうなのです。若い頃にはなんとか表面を繕って社会生活を全うしますが、高齢となり更に認知症になれば、いわゆる理性でのコントロールが覚束なくなり隠されていた本性が表面化するのです。この理性でのコントロールについて、脳科学的には背外側前頭前野の機能不全で感情の抑制がきかなくなることによると言われていますが、ある人は穏やかで謙虚で好々爺と言われるようになり、又ある人は従来の我がまま、高慢さがさらに強くなり他人にとって迷惑な存在となるのです。
ある意味で本来の自分になる、とも言えます。好き嫌いの感情がはっきりと隠すことなく表現されるようになります。
老化現症は避けられません。私は必ずしもそれが憂うべきこととは思いません。社会の常識という囚われから自由になれるのです。夢にまで見た自由です。
高齢になると今まで出来ていた事が出来なくなる、自分自身のケアさえ出来なくなります。その究極が「下の世話」です。他人に下の世話をしてもらうことは本人の自尊心を大いに傷つけます。認知症になることで、その屈辱を回避できる。認知症とは神さまが与えて下さった恩恵であり、神さまの深遠なる配慮なのかもしれません。こうした声はなにも私だけではなく、以前から云われてきたことであり一考を要すると思います。

確かに社会からは生産性のない生き方しかできない、役に立たない者「お荷物」として見られることが多いのですが、彼らはかって今日の経済発展に多大な貢献をしてきた大先輩なのです。今その役目を終えてゆっくりと疲れを癒しているのです。

しかし、ここで重大なことを見過ごしてはなりません。それは、今述べてきたようにその人間がこれまでどのように生きて来たか、が問われているということです。
より良い結果を得るためには、それにふさわしい生き方を若いころから心掛ける以外にはあり得ないのです。生きて来たように死ぬのです。
人間としてより良い生き方をするためにはは無知であってはなりません。年を取ってから始めては遅すぎるのです。勿論なにもしないよりははるかに良いのですが。

世の常識は間違っていることが大変多いことを心に止めなくてはなりません。常識に囚われず、また他人任せにするのではなく、自分の人生は自分で構築してゆくという覚悟が必要です。

わが国では認知症に関してはあまり良いイメージがありません。
 認知症とは好ましからざる病気ないしは状態であり、
▪ ああはなりたくない
▪ お荷物だ 
▪ 不快な存在だ 
▪ 国家予算の大分を占めており、何とかせねばならない
などであり、つまり人間として尊重されていない存在だというのです。だからぞんざいに扱ってもよい、そもそも自業自得であるというのです。そんな人に大切な我々の税金を使うのは許されない、となります。
一方で「病気だから仕方がない」「誰もがいづれ認知症になるのだから、社会、国家が面倒を見るのは仕方がない」という声もあります。

2007年12月に愛知県で認知症のTさん(91歳)が電車に跳ねられて死亡するという事故がありました。JR東海は家族に720万円の損害賠償を請求し、一審の名古屋地裁は全額の支払いを命じました。これがマスコミで報道されたことにより、衝撃の声が沸き起こりました。
私もあの時は本当に驚き、この国はどうなっているのであろうかと危惧しました。これはむしろ事故死した高齢者の家族がJRを訴えるほうが当然と思いました。その理由は安全への注意義務を怠ったことに過失がある、と感じたからです。この判決に対して多くの人達が声を挙げました。「認知症の高齢者を24時間一瞬の隙も無く見守ることは不可能」「あまりにも認知症の介護の実態を知らない判決」と。そして2016年3月に最高裁が一審の判決を覆して逆転判決い言い渡しました。この9年間はご家族にとっての苦しみは如何ばかりであったでしょうか。

認知症は20世紀の終わり頃までは、「痴呆」と呼ばれており人前には出すことのできない存在とされ、家に閉じ込められていたり、精神病院へ収容されるという人権が全く無視されるされる時代でした。2004年になって「認知症」と改称され、認知症にたいする理解が進むようになり、その人たちに対して尊厳を守ろうとする動きが始まりました。

現在、65歳以上の高齢者のうち、7人に1人、462万人が認知症と云われています。そして2025年には5人に1人とその数が増加すると予測されています。
発症率は実に80歳代後半では40%、90歳代後半では80%が認知症になると言われています。

それでは我が国における認知症に対する取り組みを概観してみることにします。

先にも書いたように2004年に痴呆から認知症と呼称が改められました。その後いくつかの施策が発表されて来ました。
最新では2019年6月に認知症施策推進大綱が発表されました。基本的考えは以下の通りです。
認知症の発症を遅らせ、認知症になっても、希望を持って日常生活を過ごせる社会を目指し、認知症の人や家族の支援を尊重しながら「共生」「予防」を車の両輪として施策を推進する。
具体的には
①普及啓発、本人発信支援
②予防
③医療・ケア・介護サービス介護者への支援
認知症バリアフリーの推進、若年性認知症の人への支援、社会参加支援
⑤研究開発、産業促進、国際展開
となっています。
これらの施策に関して、国や自治体、企業などがどのような対策をしているか、私は殆ど解っていませんが、九州の大牟田市では独自のやり方で認知症への取り組みを展開しています。「大牟田方式」と呼ばれており、2004年から一般市民が訓練に参加、成果を上げています。
徘徊見守り大牟田方式と言われるもので、そのやり方とはこうです。
・家族が行方不明者として警察へ捜索願を出す。
・その情報を市内の役所、企業、公共機関へ配信≪愛情ネット≫する。
・すぐに見つかる。
というものです。
私の住んでいる札幌市の地域包括支援センターは住民に対して「認知症サポーター」になるための初歩的な指導を実施しています。また、認知症に特化してはいませんが、区の介護予防センターでは、月一度軽い運動教室を行っています。

ここから私の体験したことを書いてみます。

私は認知症グループホームに嘱託の看護師として2年程働いたことがあります。
そこで感じたことは、できることなら、こうした施設には入居したくないという事でした。そこでは人間としての尊厳が踏みにじられているという印象を受けました。

職員たちは訓練も受けていますし、工夫もなされていますが、極めて不十分なのです。
先ず挙げられることはマンパワーの不足です。高齢者一人ひとりに対する気配りが出来ません。当然事故も起こります。活気がありません。皆じ~と座っており、本を読むでもなく、テレビを見るわけでもなく、何もしていません。よれよれの人形のようです。形ばかりのおやつの時間があります。年に何度かの季節のイベントが催されます。喜んで参加しているようには見えません。職員に言われるがままに折り紙を折っています。

そしてマンパワーに関連するのですが、自由が制限されています。外出したいといっても自由ではなく、職員の時間のある時に限られるのです。

また、病気により不自由になった身体の機能回復に向けたリハビリが受けられません。Sさんは室内を壁などに伝って歩くことができますが、廊下に出る時は車いす使用と制限されています。
私の母の場合は(母はこの施設の入居者でした)施設で入浴中に転んで大腿骨頸部骨折をし、病院へ移送されて手術を受けました。創傷が治癒したら即退院です。病院でのリハビリは全くありませんでした。退院して施設にもどっても一切リハビリはありませんでした。私はリハビリを受けさせてください、と申し入れをしましたが受け入れられませんでした。完全な車いすでの生活になりました。認知症の人にリハビリは危険であり、衰えた機能を回復に導くということはあり得ない、とされているようでした。何が危険かというと、彼らが自分の意志でリハビリをしようと介護者のいないところで動くことが危険ということです。ここではリハビリという考えがそもそもないのです。機能の回復ということは完全に諦めている所なのです。

私は医師でも理学療法士でもありませんが、母の場合リハビリを順調に進めるならば、骨折まえのように歩行は可能になると観ていました。
肉体は使わなければ退化します。筋肉も脳細胞もです。機能は衰えるのです。
ところがこの施設では、衰えるに任せて何もしません。ただただ徐々に弱り死にゆく時を待っているだけなのです。

さらに問題と感じたことは、入居者が「ここが痛い」「具合が悪い」と言ってもまともに受け止めようとしないということです。
曰く「あの人はいつもああなんです、人の気を引こうとしているんです。」それに対して私は「そうした受け止め方ではなく、本当に痛いのかもしれない、きちんと対処しましょう」と助言するのですが聞く耳を持っていませんでした。これが介護支援専門員(ケアマネージャー)の態度でした。介護支援専門員は、施設管理者であり、嘱託看護師の私には施設の運営方針に口出しする事はできませんでした。
ちなみにその高齢者の方はしばらくして全身に転移したがんで亡くなりました。

自分の母を施設に入居させたことについて、私は後悔とともに他に方法はなかった、という自己弁護の思いが錯綜しました。

ここでの経験は10程前のことですので、今は少しは改善していることを願うところです。

今回は認知症について思うことを述べましたが、次回は認知症の要因、症状、予防、ケアについても言及したいと思います。

ご意見など御座いましたらどうぞコメントを御寄せください。

 

 追記

世界は今、ウイルスとの戦いに翻弄されています。人々は為政者を始め皆パニックとなり、冷静な判断が出来にくくなっています。
アメリカにおける昨年秋から5カ月間のインフルエンザによる死者数は1万8000人以上、と言われています。
日本における季節性インフルエンザの死者数は3000人/年ということです。
そして今回の日本でのコロナウイルスによる死者数は3月18日現在29人です。

たったこれだけのデータですが、これは何を意味すると思いますか?
私たちはもっと冷静にならねばなりません。

たしかに、人類の歴史は感染症との戦いとも言われています。古代エジプトのミイラのゲノム解析などから、天然痘との闘いの痕跡が見られるという報告があります。
スペイン風邪(1918~1919)のときは死者5000万人、14世紀のペスト流行時では死者推定1億人とされています。これは当時のヨーロッパの人口の1/3とのことです。

ただ、恐れるのではなく人類はもっと賢く、そして国際協力という形の利他愛に目覚めなければならないのです。

自然破壊を止めねばなりません。動植物の虐待を止めなければなりません。耐性菌の出現を許してはなりません。

具体策の一つとして、元長崎大学熱帯医学研究所教授で、国立国際医療センターユニセフなどを通して感染症対策に従事してきた國井修氏が日本にもCDCを作るべきと主張しています。

CDCジョージア州アトランタに本部を置く、米国疾病対策センター。ここでは感染症対策だけでなく、慢性疾患予防、健康増進、出生異常、発達障害などさまざまな健康分野の研究センターである。