一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

認知症について~その②

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生物としての人間はいずれ肉体の死を迎えます。
「ピンピンコロリ」ということにあこがれる人は沢山います。しかし、それは心筋梗塞脳梗塞、そして戦死、事死故、自死でしかありえません。
本来の死に方は老衰であると言われています。
老衰で死ぬ場合、どのような経過をたどるのかを簡単に説明します。

これといった病気もなく、段々と食が細くなります。これは生理学的には老化することにより、人体の組織、器官、細胞の機能が低化、代謝が低くなり食物を必要としなくなるからです。また霊的には次のように考えられるでしょう。。即ち、霊界へ還るときが来ると、霊は肉体とお別れしなければなりません。ですから人間は食物を摂らなくなります。この時点ではまだ意識はしっかりしています。食が細くなったからと言って、無理やり介護者が食べ物を口に放り込むことをしてはいけません。本人が食べたい時に食べたいだけを食します。
そしてやがて何も食べなくなり、水だけになります。当然体重は落ちとても痩せてしまいます。それで良いのです。当然点滴などもしません。このころには意識はもうろうとしてきます。そしてやがて眠るように息を引き取ります。遺体はすっきりと軽く、本当に楽になったことが解り、周りの者たちも安堵します。

これに対して、食べなくなったからと言って病院に入院させるとどのようなことになるでしょうか?まず、経管栄養か大量の点滴を行います。経管栄養とは少し前までは鼻からチューブを挿入し流動物を流し込むやりかたが主流でしたが、今は外から胃に穴を開けて栄養補給をする胃瘻に変わっています。
チューブは栄養チューブの他、点滴チューブ、尿管カテーテル、酸素吸入チューブ、心拍数と血液中の酸素濃度を測るパルスオキシメーターなどが付けられます。場合によっては動脈ライン、気管内挿管チューブなども加わります。これを俗にスパゲッティ症候群と呼んでいます。
そして代謝が落ちているため当然排泄されない水分で、肺を始め全身水ぶくれの状態で苦しんで死を迎えます。溺死です。

介護療養型医療施設(いわゆる老人病院)ではまともには注視できない光景が展開しています。6人の高齢者が薄暗い部屋で臥床しています。丁度昼食時間であり、彼らの側には点滴ポールにぶら下っている流動食の袋が見えます。そこから経管栄養剤が胃ろうから注入されています。誰一人声を挙げたり、身動きをしたりしません。何故なら、彼らはもう殆ど意識がないからです。ただ、意識もないまま肉体を生かされ続けているのです。こうした部屋が廊下に沿ってずーと幾つも並んでいます。実際に私が目撃した光景です。
 強制栄養により10年も意識がないまま、生かされるという社会問題、人権問題が発生しているのです。
当然こうした医療の在り方に疑問の声を上げる人達が現れてきています。ではどうして未だこれへの解決手段が講じられないのでしょうか。
一つには医療を行う側、医師たちが人命第一主義に凝り固まっている、対象が誰であれ、どんな手段を講じても少しでも長生きをさせるのが自分の使命であるという信念です。
例えば事故の場合、救命を第一とするのは当然理解できます。そうすべきでありましょう。しかし、病が進行しもはや死期が近い場合、あるいは老化が進展し自分で食事を受け付けなくなった時は、自然の流れにまかせるのが妥当でありましょう。それが出来ないのは唯物的思考に囚われている人間の限界なのでしょう。

そうしてとても大切なことは、譬え医師に「あなたのお母さまは口から食べることは誤嚥の危険がありますから、胃ろうを創りそこから栄養物を与えるという方法が適切と思いますが、どうしますか?」と問われた場合です。 
よく考えずに、「そうですか、それではお願いします。」と答えれば、あなたのお母さまは10年間も胃ろうからの栄養補給でそのまま生き続ける、ということもあるのです。お母さまはそれを望んでいたのでしょうか?そしてあなたご自身はそうした生き方を望んでおられますか?
元気なうちに本人の意思確認をしていおくとが大切な理由はこうした事態を避けるためにも絶対に必要なのです。ちなみに私は日本尊厳死協会に入会しています。自分の意志を文章にしております。(living will―終末期医療における事前指示書)
無駄な延命は摂理に反すると思われます。地上に生まれ、そこでの使命、仕事を果たしたら安心して次の生に移るのです。あくまでもそれが自然であり、人間だけではなく生きとし生けるもの全ての在り方と思います。

ここまで、認知症に限らず死に瀕した者の在り方について述べてきましたが、ここからは認知症に関してです。認知症は高齢化した現代人には避けて通れない問題です。
アルツハイマー型は全認知症のうち約60%を占めています。認知症になることは誰もが望んではいないのにも関わらず、多くの人が発症しています。本当に避けることはできないのでしょうか?多くの人が認知症になるといっても、全ての人ということではないことに注目しましょう。
避けることも可能である、ということです。つまり予防です。何の手立てもせずに漫然とこれまでの生活態度を続けてはならないのです。アルツハイマー病の脳に見られるβアミロイドは病気が発症する25年も前から蓄積が始まっているのです。ですから、予防は早いほうが断然良いのす。中年期のあなた、そしてお若い方も、今すぐにご自分の生活を見直されることを強くお勧します。
今、解っている予防あるいは対策を挙げてみます。
生活習慣病(糖尿病、脳および心血管障害、高脂血症、高血圧)を予防、治療をする
・食事を見直す(魚を食べる、動物性脂肪を減らす、抗酸化物質を含むのもを食べる)
・運動をする(有酸素運動など)
・達成感を味わう(趣味など)
・他の人と交流する、共同作業をする(ボランティアなど)
他に教育歴や環境(ストレス)が関係するとも云われています。
教育歴については次のような見解があります。 生来の知能、受けた教育、職業の質によって造られる何かが、アルツハイマー病の病理に対する抵抗力になるのではないか、というものす。これに関連して言えることとしては、「頭を良く使う」事の大切さが挙げられています。
ストレスについては豊かな環境(マウスの実験で回し車で自由に遊ばせる)では神経細胞の新生が盛んに行われた、と報告されています。

結論として言えることは、アルツハイマー病にならない生活習慣とはつまり、昔から健康的な生活として奨励されてきたものなのです。
欧米化された食事、美食は健康の大敵です。
ホリスティック健康学・栄養研究所では生活習慣病を引き起こす原因となる”欧米食”を見直し、食生活を根本的に改善することの必要性を訴えています。詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

次に認知症の主な症状と基本的な対応について少し述べます。
初めは記憶障害、見当識障害です。いわゆる物忘れです。それから妄想、徘徊、不安、焦燥、うつ状態、せん妄、さらに失行(衣服の着脱、リモコン操作、お金の払い方、トイレの使い方が解らなくなる)、暴力行為、さらに進行すると、歩行、食事、排泄などの基本的能力、言語が失われて殆ど会話がなくなります。最終的に寝たきりとなります。

治療は根本的な治療法は現段階ではありません。
・抗認知症薬としてアリセプトなどがありますが、進行をゆるやかにするだけ
睡眠障害に対して睡眠薬
・不安を抑えるための精神安定剤、という状況です。

 次は基本的対応です。
・どうしてそのような行動をしたのかを考える
・自尊心が保てれるように対応する
・「できないこと」を責めず、「出来ること」に注目して引き出す
・役割を奪わない
・一人の人間として対等に接する
以上、まとまりに欠けるようですが、認知症について述べさせていただきました。
皆さまがより良い人生を送ることが出来ることを祈念してこの項を閉じます。

 参考文献
 「アルツハイマー病にならない」 井原康夫 / 荒井啓行著 朝日新聞社刊 2007.08  
 「スマート・エイジングー人生100年時代を生き抜く10の秘訣」 村田裕之著 徳間書店 2019.02