一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

地上人生

 

          f:id:gsirakaba:20200607113507p:plain  

           
 前回も地上人生について述べてきました。今回はもう少し視点を変えて私の考えるところを述べてみたいと思います。

スビリチュアリズムが教えるところでは、人間は死んでも死なない永遠に生きる、としています。これは肉体を持って生きるということではなく、霊として永遠に生き続けるということであります。そして人間は地上生活で培った人格を携えて霊界での永遠の人生へと出発する事になるのです。
ここで何も準備をしないで未熟なまま霊界へ入ったとするなら、それはそれは惨めなこととなります。地上人生で人間性を豊かに、そして霊性を高めることがとても重要です。そこで、なによりも大切なこととして、霊界が確実に存在するということを理解しなければなりません。そうでないと、いざ死んで霊界に来た時、「私は誰?」「ここはどこ?」状態となり霊界で迷子状態となります。死の自覚も持てません。霊界へ来ても地上で生きているとしか思えず混乱し、どうしたら良いか分からないのです。しかしこうした状態も速いか遅いかの違いはありますが、多くの場合自分の置かれている状況を理解するに至ります。ただ中にはあまりにも無知で霊性が低い場合は地縛霊となって霊界の最下層に何百年も何千年も留まり続ける霊も存在します。

さて、こうした事実を踏まえると、私達は地上人生が何故大事なのかが幾らか理解がいくでしょう。
地上人生は実に人様々で、一律にこうあるべきというものではありません。

何故なら、人間は果たすべく自分の課題を携えて地上へ誕生してくるからです。ある人は地上人生を何の問題もないかに歩む人がいるかと思えば、ある人は常に病気がちで、苦しみの人生となるかもしれません。しかし、他をうらやんだり自分の人生を嘆いたりする必要はありません。それぞれの人生を精いっぱい誠実に歩むことが要請されているからです。私はスピリチュアリズムを知ることで、このことがはっきりと理解することが出来たことを本当に嬉しく、有難く思っています。

今日の人間社会は日本に限らず、世界中どこを見ても自分や自分の家族、自分の会社そして自国が一番大切、という自己中心主義に覆われています。これではいけません。
自分を超えて他のために生きるように方向を転換させなければなりません。いつの時代でも何処の国でも、助けを求めている人、あるいは生き物が存在しています。譬え非力な自分だったとしても某かの手助けが可能でしょう。遠いアフリカやアジアの飢える子供たち、病気や障害のある弱者といわれる人々、雨の日にも身を寄せる所もないホームレスの人など。また残酷な仕打ちの末、殺され人間の食糧とされる動物たち、増えすぎて無慈悲にも殺されてゆくペットたち。助けが必要な存在は数多く存在します。

哀れみ、慈悲の心が必要です。これを愛とも言います。こうした心のあり方は、同時に地球存続の問題につながります。地球温暖化、CO2の排出問題、森林伐採、環境破壊、農薬や化学物質による健康被害、精神性の崩壊。そして今回のコロナウイルスの脅威もです。間違った人間の営みがウイルスの暴走となって表れた、と私は捉えています。
先回のブログにも書きましたように、人類は叡智を結集させてこの禍から脱却しなければなりません。地球人類は己の力で問題を解決しなければなりません。そして大切な私たちの地球を守らなければなりません。ゴミや有害物質を生み出しても地球外へ捨てることもできません。地球はもうゴミで溢れています。ゴミのなかでも最も危惧するものが核廃棄物でしょう。宇宙船から一部のごみを廃棄しているようですがそれをしてはいけないのです。私達の身の周りを見渡してみましょう。ゴミで不潔になってはおりませんか?私という一個人は小宇宙です。地球も私も汚してはいけません。

ここから本題の地上生活中でどのようにしたら、人間として成長できるかについて述べてまいります。

スピリチュアリズムでは①霊主肉従 ②利他愛の実践 ③苦しみへの正しい対処により霊的成長ができると訓えています。

  • 霊主肉従とはなにか?

これは肉欲・物欲に染まらない清らかな生き方です。現代人はあまりにも多くの情報に曝されており、それらに翻弄されています。これでもか!というばかり物質に囲まれ日々暮らしています。ものが多いことで安心していられるのでしょうか・・・。

現代人は己の霊性が深く埋もれてしまって、自分自身が霊的な存在であることに気づけなくなっており、その不足を埋めるがごとくものを求めるように思います。

  • 利他愛の実践は先に述べた他のために生きる、ということになります。

利他の行為は人間だけが対象ではありません、先にも述べましたように、すべての動植物、そして無生物である全ての存在に対してでもあります。

   ●  苦しみへの正しい対処とは

私達は生きてゆくとき、何らかの苦を体験して行きます。病気、倒産、家庭問題、人間関係、災害、などなどがあります。
これに対しどのように立ち向かうか。”病気になった、自分はなんて不幸な星のもとに生まれたことか!”と天を恨む事はよくありません。そうなったのは結果です。原因があっての結果です。これを因果律と言いますね。これまで病気になるような生活をした来たかどうかを反省し、これからの生き方を正してゆくために与えられた試練と受け止めて前向きな生き方に変えてゆくのです。
ただし、これまでの人生を振り返る、原因は何か?と言っても必ずしも今生の人生ばかりではないことを知らねばなりません。過去世にまで原因が遡ることもありうるからです。つまりカルマといい、今生に病気として現れるということもあるということです。過去世については私達はどのような過ちをしてきたかは知ることはできません。しかしながら、結果を見れば凡その見当がつきます。。

今、例えとして病気について述べましたが、人生はまさに苦難の連続ともいえるほど次々に問題が浮上してきます。それらも受けとめ方は一緒となります。やってくる苦難は自分に必要であるために今現れたのですから、不平不満一杯で受けとめるのではなく、むしろ自分にとって有難いものと受け止めてください、というのです。実に難しいことのようですが、これも自分自身を高めるための修行であるともいえるでしょう。
努力なくして、楽をしてでは何ごとをもなしえません。学業でよい成績をとるにも、スポーツで良い成績を修めるにも、それは苦しい努力が必要であるのとなんら変わり在りありません。
永遠の霊界生活のためには、のほほんと地上人生を送っていてはまずいことになるのです。地上人生を有意義におくるようにと、親なる神が準備してくれた地上人生す。

”かわいい子には旅をさせろ”というわけです。地上人生とは、永遠の霊界生活のための準備期間であり、学校で言えば幼稚園か小学校に相当します。この期間に学ぶべき事をしっかり学ばなければ次のステージで困った事になります。前へ進むことが出来なくなってしまいます。永遠の、霊界生活に備えて今、必要な事柄を為してまいりましょう。今回は私がこれまでに学んだこと、経験したことを交えて述べました。なんらかの参考になれば幸いです。