一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

魂の目覚め

 

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このブログの第一回ではスピリチュアリズムとは何か、について述べました。ここでもう一度取り上げ、振り返りましょう。

スピリチュアリズムとはイエスを中心とする地球圏霊界の高級霊達が結集して計画された人類史上初めての地球人類救済計画です。それは「霊的真理」を地上にもたらすことであり、地上人が理解し受け入れることを目的にした大プロジェクトであります。地球人類は長きに渡って「神」「死」「死後の世界」「人生の目的」について全くの無知に置かれてきました。あらゆる宗教、思想もこれらについて明確に答えることが出来ずにきました。その為、人類は数々の悲劇のうちに過ごさざるを得ませんでした。
そして「物質至上主義」「利己主義」に陥り、地球に悲劇を蔓延させて来たのです。
戦争・紛争、発展途上国に於ける飢餓、対する先進国における飽食・美食による肥満・生活習慣病、貧富の格差、環境破壊、動植物への虐待、精神性の凋落等々、正に地獄の様相を呈するようになったのです。

 スピリチュアリズムは宗教の観点から見ると、これまでの全ての宗教を凌駕する宗教、超宗教であります。つまり宗教革命なのです。そして個人には真の救いをもたらすものということになります。つまり、一人ひとりの救いと全世界の救いをもたらすもの、と言えます。世界は一人ひとりの人間により構成されていますから、一人ひとり個人の救いなくしては全世界が救われる、ということにはならないのです。

 それでは人類の救いとは何でしょうか?
そもそも人間とはいかなる存在であるか?何のためにこの地上に誕生してきたのか?死んだらどうなるのか?死後の世界は存在するのか?こうした最も根源的な問題を究明することを私達は永い間疎かにしてまいりました。ですから、人類の不幸は依然として延々と持ち越されてきたわけです。私達人間は神の分霊であります。故に本質的には神の神性・属性を持ち合わせています。が、あまりにも永きに亘り霊的真理から切り離されてきたために、神から譲り受けた神性・属性は魂の奥深く押し込められ、眠った状態に置かれてきたのです。

 スピリチュアリズムはこの眠ったままの魂を揺り起こすべく、霊界から私達地上人にもたらせれたのです。
「魂の目覚め」「魂の新生」です。
そうは言っても、現実には地上人の多くは「そもそも自分は何ゆえに救われなければならないのか?」「救いなど必要としていない」というふうに言います。本当にそのように思っているのでしょうか・・・。

しかし、片方ではさまざまの問題を抱え苦しんでいる人々が存在します。生きる意味を見出せない、信仰している宗教はどこか腑に落ちない、働けど働けど生活は苦しくなる一方だ、家庭の問題が絶えず生じている、なぜ自分はこんなにも次々と病気に見舞われるのか、どうして自分はこんなに酷い事故・事件に巻き込まれるのか?、このように様々な困難・苦難が押し寄せてまいります。

しかし、実は眠っていた魂が目覚めるのはこの時なのです。そうして世界は今、新型コロナウイルス問題に困惑し翻弄されています。沢山の死者が出ています。人々はパニック状態になっています。これに伴い経済問題は深刻です。

先日、テレビで「2012」という映画を見ました。”世界の終わりーハルマゲドン”の到来を物語ったものです。これを見て今現在の世情を重ね合わせた方も居られたことでしょう。

困難・問題、不幸は誰にとってもあまり歓迎しないことであります。が、しかし、深く眠りこけている魂を揺り動かす、目覚めさせるには並大抵のことではないのです。荒療治ともいえるような厳しく辛い体験を経て始めて、これまで見いだせなかった光明に気づくことができるようになります。絶望のどん底に落ちて初めて目が覚めるのです。地上的な努力だけでは、物の世界には真の慰めとなるもの、希望を与えてくれるもの、魂を鼓舞してくれるものがないことを悟った時に魂が目を覚ますのです。

辛い人生行路は「霊的真理」という目標に到達するための巡礼の旅であったというわけです。

シルバーバーチの霊訓(二) (スピリチュアルズム普及会版) P196には次のように書かれています。

スピリチュアリズムの全目的とは、人類の魂を呼び覚まして一人でも多くの人間に本当の自分に気づかせること、自分とは一体何か、誰なのか、を知ることによって、普段の日常生活の中において霊の本性と属性を発揮することが出来るよう導いてあげることです。

 続いて同じページには

神の子が享受すべく意図されている本来のもの―気高さ、崇高、威厳、豊かさ、光輝、美しさを見出すことでしょう。

とあります。私達がその人格に備えるべく資質は本当に高貴な特質ばかりです。
私は密かに思いました。そこに温かさ、優しさが加われば嬉しいのだが・・・と。でもそれって極めて人間的すぎるでしょうかね。

 シルバーバーチが挙げた本来の人間の備える資質は本当に素晴らしいものばかりです。さて、私自身はどうでしょうか?あなたご自身はどうでしょうか?

高貴さ、どうでしょうか・・・。

美しさ、これは?

そうです、どれ一つとってもまだまだ目標は遥か遠くに感じられますが、しかし、気落ちすることはありません。何しろ、目標は明確に示されていますので、いつも忘れずに、意識して物事に接することです。それ以外に魔法の小槌はありませんので。

私達にはすでに光明が与えられています。あとは勇気をもって志を同じくする同志と励まし合い進むだけです。何事も成就するためには時間と忍耐を要します。巡礼の旅はまだ始まったばかりなのです。これで完璧、という段階は永遠にやってきません。

例えそれが辛い道程であっても、明るい未来への道であることを知っていれば耐えることは出来ます。むしろ喜びを持って歩めることでしょう。あなたが一層の光明を見出すことを祈ります。