一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

モラハラについて

f:id:gsirakaba:20201121130643p:plain昔、看護学校で教員をしていた時にパワハラを受けたことがありました。そこでの体験は凄まじいものでありましたが、最近パワハラならず、モラハラについて考えさせられることがありました。この度、それについて何某かを学ぶことが出来ました。それにより気持ちがすっきりといたしました。それを以下に述べてまいります。

  モラハラとはモラルハラスメントの略で、身体的暴力ではなく、言葉や態度といったモラルによる精神的苦痛を相手に与える、DV(ドメスティックバイオレンス)の一種です。

倫理や道徳といった意味を持つ「モラル」と嫌がらせという意味を持つ「ハラスメント」を合わせた言葉です。つまり倫理や道徳に反して相手に嫌がらせを行うことを指します。
職場や家庭など、大人同士の間で起こる事が多く、無視や暴言、わざと不機嫌に振る舞ったり嫌がらせをする、といったことが多いようです。また相手を必要以上に責めたり、無理難題を押し付けたりし攻撃することで、精神的に深いダメージを与えます。モラハラは相手を侮辱し軽蔑して尊厳を傷つけます。される側は傷つき自信を失い、自己嫌悪にさえ陥ります。そしてモラハラをする側は意図しないうちにそうした言動をする事がしばしばです。自覚がないのです。相手を傷つけているということに無自覚なのです。

次に何故モラハラが行われるのか?その心理をさぐって見ましょう。

そもそも、モラハラを行う人の基本的考え方は、「悪いのは相手であって自分ではない」というものですから、相手を傷つけている自覚がなく、当然謝罪の気持ちは持ちません。さらに「相手よりも優位な位置に居たい、上の立場で居たい」のです。

 そしてモラハラをする人の特徴・傾向とはどのようなものでしょうか?
・相手によって態度が大きく変わる――家庭や職場以外の場所ではボロをださない。
・古くからの友達が居ない――本当の姿を知っている人から距離をとられている。
・かって自分もモラハラを受けた――コンプレックスや自己嫌悪の感情を解消できていない。
・口下手でコミニュケーションが下手。

 そしてモラハラをされる側の特徴・傾向は
・自己主張が弱く、自分の意見を我慢してしまう。
・場の空気を読みすぎる――相手がイライラしていると、それを察知し言いたいことを飲み込んでしまう。反論しない。気を使いすぎて相手を助長させてしまう。
・真面目で責任感が強すぎる――自分よりも相手を優先することが癖になっていて、何かあれば自分のせいと悩み込む。
・自分に自信がなく、自己肯定感が低い。                               

 以上のようにモラハラの実態を調べて思うことは、本当に自分はモラハラを受けるには十分な要素を持っているなあ~という驚きと感慨にも似た想いでした。
決してそのままの心の姿勢であってはいけないと思いました。が、見方をかえれば愛すべき傾向でもあります。次の二点はどうでしょうか?
・場の空気を読みすぎる――相手がイライラしていると、それを察知し言いたいことを飲み込んでしまう。反論しない。気を使いすぎて相手を助長させてしまう。
・真面目で責任感が強すぎる――自分よりも相手を優先することが癖になっていて、何かあれば自分のせいと悩み込む。

場の空気を読む事―これは必要なことと思います。ただ、読みすぎはいけません。なにごとも過ぎたるは及ばざるがごとしです。そして、真面目で責任感は大切ですがここでも強すぎはいけません。
何事も問題が生じたときは、何らかの対処が必要となります。
モラハラを受けた時の対処法とはいかに?

幾つかの方法があるようです。
・まず相手の言動がモラハラであることを毅然と伝える。
それにより、自分がどんな気持ちになったか、どんなふうに傷ついたかを具体的に伝える。
・自分に非がない場合は謝らない。
場を早く収めたいがために直ぐに謝ってしまうなら、逆効果となります。こうすることは、相手に「やっぱり自分が正しい」と思わせてしまうからです。相手の言い分が理不尽なときには絶対に謝らない、モラハラに屈しないという態度をとる。 
その他では状況により証拠を取り保存する、周りに助けを求める、別居、離婚する、などがあるようです。

今回はモラハラについて学んだ事を述べてみましたが、日常生活とはこうしたことを含めて、揉め事・争い、そしてさまざまな葛藤の連続です。

私は未熟者ながら、スピリチュアリストを自認しております。しかし霊的真理を知ったからと言って悩みは解消され何の問題もない、ということではありません。寧ろこれまで知らなかったこと、封印してきた問題が明らかになったことで、葛藤はよりシビアになったとも言えます。

地上人生は霊的成長のために存在しますから、何となく抱えていた問題・課題が浮き彫りとなり、“対処せよ“と迫ってくるのでしょう。

そういう意味ではスピリチュアリストの人生はシビアな人生なのです。安穏と気ままな暮らし、問題があっても見ないふり、ということは出来ません。
だからと言ってしり込みをしていてはなりません。私達は愛と希望と喜びをこの地上世界にも実現させるべく歩んでいます。実に意義ある人生です。そのためには多くの苦しみ・葛藤があってもそれはむしろ有難いことなのです。喜んで受け入れてまいります。これがスピリチュアリスト人生なのです。

今回もこうして学ぶことが出来ましたことを深く神に感謝しています。