一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

人生観の転換と霊的成長

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今日は人生観について考えてみます。

「あなたご自身の人生観はどのようなものですか?」と聞かれ何と答えるでしょうか。殆どの人は自分自身の人生について何らかの思考を巡らしてきたと思います。
それは若い頃であったかも知れませんし、今まさにそうした考えを巡らしているかもしれません。人生って何だろう・・・、何のために人は生まれてくるのであろうか・・・運命は決められているものだろうか・・・、運命って自分で変えることができるとしたら、自分はどんな人生を望むだろうか・・・、価値ある生き方をしたい、では価値ある人生ってどんな人生なのか・・・。

 これらはすべて私自身が極若い時から抱いてきた疑問であり人生の課題でした。
しかし、その疑問も課題も解決されないまま、時は経過してきました。自分自身の生き行く道が解らない、人生の指針を見出せないという状況です。

 考えてみれば、このような状況は何も私一人に限ったことではなく、地球人類の多くがそのように生きているのです。自分はどこを目指しているのか、目的地が見いだせない。何をすべきなのかが解らないまま闇雲に右往左往しているだけなのです。地球は迷子たちで満ちているのです。どこを見ても道を見出せない迷子たちで溢れているのです。そしてこのような人間によって出来上がっているのが社会、世界なのです。どこの社会であろうと、どこの国家であろうと、状況は同じということになります。人類はすべからく迷子の状況にあるのです。

ですから、当然どこを見ても混乱に満ち満ちているのです。政治、経済、教育、科学、宗教、あらゆる分野に見て取ることが出来ます。人間とは如何なる存在か、宇宙とは何か、何のためにこれらは存在するのか、こうした最も根源的なテーマを蔑ろにしていては、どんなに労力・時間をかけて物事に取り組んでも、すべてが砂上の楼閣でしかないのです。虚しい取り組みに終わることでしょう。そうして現代人の多くは諦め、あるいは疲れ果てて虚無的になったり、刹那的快楽に生きるようになります。

スポーツや退廃的な娯楽に興じるようになります。薬物依存、セックス依存が幅をきかせています。物質至上主義に飲み込まれ、道徳は廃れ、伝統や文化は必要のない代物と扱われ精神性の危機に見舞われています。神の存在は随分と遠くなったようです。

それでも人間は魂の奥に神の分霊を宿していますから、自分自身が納得のゆくように努力します。なんとか折り合いを付けて頑張ってきました。

 テーマに戻ります。人生観とは何に価値を置くか、という価値観ということになります。つまり、人生観=価値観ということです。

スピリチュアリズムでは「神」と「神の摂理」を説いています。お金や地位、権力に価値を置く物質至上主義は間違いであり、人間とは「霊」が主で、「肉」は従であるので「霊主肉従」、そしてまた自分中心の利己愛ではなく、他を愛する「利他愛」が摂理であるとしています。これがスピリチュアリズムの価値観でもあるのです。先に述べた目標の見えない人生、迷える人生、虚しい人生は一重にこの「神と神の摂理」を知らず、摂理から外れた結果から生じているのです。

ここで私が言いたいことは、「人生観」の転換をして頂きたいということです。すなわち「価値観」の転換です。物質中心の人生から、精神と霊を主に、そして自分中心の利己愛から、他を想う利他愛の生き方に価値を置く人生にです。世界は人間によってなりたっているので、一人ひとりがこうした価値観で生きるなら、それは自分ひとりの問題解決だけではなく、広く世界の諸問題の解決に至るということです。

これはこのように一口に言うことが出来ますが、実際に実践することはそれは困難であります。何しろ間違いを間違いであるとの自覚もなく、長年続けてきた習慣を見直すことになるからです。しかも周りは皆これまでの貴方と同じく間違いの自覚がありません。そういう人たちに取り囲まれているのです。ですからそれは苦しい歩みと言えます。これまでの生き方を変更するのですから。しかし苦しみ、困難を避けていては先へは進めません。私達人間は良きものを手にしたいなら、真の幸せを手にしたいなら、努力は欠かせません。そんなことは幼稚園児でも知っています。

端的に言うならば、この地上人生とは、苦難の体験を通して、これまでの罪(あなたはどう思われるかしれませんが過去世をも含めて)の償いをし、霊的成長をする場として存在しているのです。しかし、その歩みは決して辛いばかりではありません。霊的成長をするその歩みは喜びももたらしてくれます。魂のなかから湧いてくる他のために生きる喜びです。最も身近なことから少しずつ取り組むことは可能です。気づいたことから実践するのです。スピリチュアリズムの真髄を学んでください。そうすれば、何を為すべきを知ることが出来ます。知識は大切です。無知からは向上、進歩はあり得ません。

神は愛そのものです。ですから地獄さながらの中に住む私達地球人類を救おうとされ、あらゆる手立てを講じられています。諦めないで下さい。求めてください。霊界の高級霊たちが涙ながらに手を差し伸べています。それは細い糸かもしれません。ですが、強靭に出来ており、あなたが離さない限り決してあなたを見捨てることはしません。あるいは芥川龍之介蜘蛛の糸の様であるかもしれません。あなたが自己中心の心を持たないなら、けっして切れる様なことは起こりません。

 先回でも述べましたように、スピリチュアリズムでは人生の最重要事項は「霊的成長」であると説いています。霊的成長とは「霊的価値観の確立」のことを指します。つまり、霊的価値観への転換こそ人生での最重要事項というわけです。

今回のテーマに「人生観の転換と霊的成長」と挙げたわけが幾分かはお解り頂けたものと思ます。