一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

   霊主肉従、そして我が家の花たち

              我が家のクリスマスローズ 

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 先日、体調も良いし春めいて天気も良いし、ということで少し遠いのですが何時も行く公園までゆっくりと2時間のウオーキングをしてまいりました。しだれ柳が萌黄色に輝いており、早春の気配を満喫できました。往復とも快調でとても満足しました。が、翌々日から一気に体調不良、気力低下に陥りました。

一体どうしたというのでしょうか。冬中殆ど運動をしておらず、いきなり2時間のウオーキングは今の自分には強過ぎたということ、それから最近体調が良いことから食べる量が多くなっていて体重が増加していたことです。これらは心臓に対して大いに負荷を掛けます。 以前もお知らせしていますが私は慢性心不全で、心不全診療ガイドライン(軽いほうからA、B、C、Dと4つに分けている)の病期区分によれば、Cに該当します。これらに関しては十分に知っているはずでした。しかし、行動は間違っていました。知識が身に付いていないのです。自己コントロールができないのでした。
自己嫌悪に陥り、数日悶々としておりました。気分が沈み、エネルギーが湧きませんでした。 “体調が良い“、これは喜ばしいことなのですが、ここにも落とし穴があったのす。”わ~い、体調よいぞ~、ウオーキングしよう、沢山食べて元気をつけよう~“という極めて思慮のない短絡的な発想です。 つまり、これは肉体面に注意が注がれ霊的なことを疎かにした、ということになります。「霊主肉従」から「肉主霊従」の状態に陥ってしまっているのです。

私は医療に従事してきた人間であり、病気は敗北を意味し受け入れられない、”健康であらねばならない”という呪縛に絡めとられていたようです。

しかし、病気はこれまでの(過去世も含めて)摂理違反の結果であり、それは謙虚になり素直に受け入れなければなりません。受け入れられない、ということはすなわち傲慢であるということです。

私は健康問題、日常生活のありかたに関しては、専門分野であり自信をもって周囲の人たちに語ってきました。それなのに何ということでしょうか・・・。自分は何も出来てはいない、知識も上辺だけのもので少しも身に付いていない。他人に語る資格などこれっぽちもない。これまでも私は冷静さに欠ける、という自覚はありました。一呼吸おいてから返事をする、答えるということを自分に言い聞かせてきました。
でも、まだまだ出来ておりませんでした。
健康を考えるとき、私は肉体をもつ霊である、という人間存在の根幹を決して忘れてはならないのです。今、自分の肉体は病気であるが私の本体は霊であり、その霊は決して病んではいない、肉体は惨めな状態にあるが、私自身はけっして惨めではない、気落ちすることは全くないのです。神の分霊であり、至高なる所を目指している貴重な存在であるという自覚です。しかし、残念ながらしばしば失念しておりました。
病気であることはある意味でむしろ好ましいとさえ言えます。病気により肉体が弱まり、霊的な感性が鋭くなるからです。一種の修行と言えます。

この時の私は体調が良い故に、”よし頑張ろう”と肉体面のことに関心が向き、霊的なことが疎かになっていたのです。若い頃登山が趣味でした。”やれば出来る”、という全能感がふと、よみがえるのです。そうして、今の状態を忘れで無茶をしてしまう、コントロールが出来なくなってしまうのです。自己コントロールが出来ない人間、霊優位の生活の出来ない人間はそもそも、真理を語る資格はないと言えるでしょう。
しかし、私達地上人は発展途上の未完成の人間でありますから、繰り返し過ちを犯します。そこで反省し、努力するという道しかありません。

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 ここでスピリチュアルズム普及会のホームページからの文章を引用させて頂きます。

スピリチュアリズムの思想【Ⅲ】(3)スピリチュアリズム人生の第1歩は、霊優位のための闘いからの抜粋です。スピリチュアリズム普及会 第1公

 「霊優位」は人間が霊的存在としての立場を確立するための必須条件です。そして「人間は霊と肉の二元からなる存在である」「霊と肉はそれぞれ反対の方向性を持っている」したがって「霊と肉の間で葛藤が生じるようになる」「霊優位のためにはなんらかの闘いや修行が必要とされる」霊優位の状態では周りの人たちに対して愛の想いが湧き、肉欲が消え、エゴ的な思いがなくなり、霊的な心地よさ、すがすがしさ、明るさ、喜びを心の底から味わえます。そして「肉主霊従」という摂理に反した不調和な状態が続くとやがて心身の苦しみ、痛みを感じるようになります。それが限界にまで至ると、否応な「霊優位」の方向を目指すようになります。地上人類はこのように「霊優位」の状態と「肉優位」の状態の間を行ったり来たりする中で、少しずつ霊的成長の道をたどってきたのです。“三歩進んで二歩下がる”ということの連続です。

 今回の落ち込みも決して無駄ではなかったと今、思います。無理をせず頑張ります。
皆さんも世の中不快なことが多々ありますが、そのようなことに心を乱すことなく、平静心で生きてまいりましょう。

 お終いに気分一新のためになるかもしれませんので、我が家の庭の様子をお伝えしようと思います。北国にもようやく遅い春がやってきました。 

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今年も真っ白なクリスマスローズが咲きました。ヒヤヒンス、水仙も咲きだし、これからチューリップも赤、黄、白、橙、サーモンピンクと咲き誇ります。心浮き立つ季節です。狭い庭には約100種類の草木が植えてありますが、今年は少し整理してすっきりさせようと思います。増えすぎたことと、私自身の体力的な制限からあまり手を掛けられなくなりつつあるからです。花や木々は愛情をもって関われば、しっかりと答えてくれます。それが嬉しく天気がよければ毎日お世話しています。

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 ついでに紹介します。我が家の愛猫タマゴローは16歳になり(野良猫だったので正確な年齢は不明)、食事量、動量ともに少なくなりました。毛並みもボサボサとなり、毎日マッサージしています。私は花も動物も生き物が大好きです。地上人の全てが生き物を大切にしてくれるならこの地上世界はどんなにか美しく輝くことでしょう!!