一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

ペットロス

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ごく最近私は16年間連れ添った愛猫を失いました。まさにペットロスの状態でした。(というか、です・・現在進行形)次のペットを迎え入れるという選択肢がありますが、60歳超えの人はペットを飼うのは諦めたほうがよいようです。
ペットフード協会によると愛玩動物の譲渡条件として
・60歳以上のみの世帯はダメ
・継続した収入源のない家庭はダメ
・単身者の場合は血縁者の後見人が必要
というのを挙げています。

数日前、ネット上に俳優の秋野暢子さん(64歳)が愛犬を失ってペットロスの状態にあったと書いてありました。いろいろ調べ考えた末、新しくペットを迎えたそうです。上の条件をクリアできるという事だったのでしょう。

アニマル・ウェルフェアなるもの

ペット飼育の最も多い国は南米のアルゼンチン、メキシコが国民の80%、ロシアが73%、アメリカが70%とのことです、日本は最近、ペットと共に暮らす人々が増加していますがそれでも国民の37%だそうです。まだまだ我国ではペットの地位は低く、生命として扱われることは少なく法的は“物“として扱われています。動物愛護後進国と揶揄されている状況です。日本では一般的にペットの入手手段はペットショップですが、ドイツやスエーデンではそういうものは殆ど存在しないということです。これは法的に禁止されているからという理由からではなく、アニマル・ウェルフェア(動物福祉)の精神からペットショップのようなビジネスが成り立たないということのようです。
ただこのアニマル・ウェルフェアなるものが如何なるものか、倫理的な観点から私は決して全面的に賛同できるものではないと思います。というか、間違って、あるいは自分たち人間の都合よいように解釈していると思われます。それを次に説明いたします。

わが国は加盟している国際獣疫事務局(OIE)から出されている勧告により、「アニマル・ウェルフェアとは家畜を快適な環境下で飼養することにより、家畜のストレスや疾病を減らすことが重要であり、結果として、生産性の向上や安全な畜産物の生産にもつながることから、農林水産省としては、アニマル・ウェルフェアの考え方を踏まえた家畜の飼養管理の普及に努めています。」としています。これは家畜を人間の所有物、つまり食料として見ているにすぎません。けっして動物の福祉のための理念ではありません。「動物福祉」とは「動物が精神的・肉体的に充分健康で、幸福であり、環境とも調和していること」です。動物も人間も命あるものであり、感覚があります。彼らにも基本的ニーズ(生理的、環境的、行動的、心理的、社会的)があり、人間と共有しています。これらを出来る限り充足、快適に苦痛なく生活できるよう配慮することが人間に求められているのです。これがほんとうの動物福祉と言えるものなのです。

わが国におけるペット飼育事情

最近、ペットと共に暮らす人々が増加しています。特に昨今はコロナの影響で外出自粛など、国民生活全般に制限が求められ、ペットを求める傾向が一段と増しているようです。そうした中で、ただ可愛いから、癒しになるからという理由だけで無計画に飼い始めてすぐに放り出す人がいることに、動物愛護団体などは苦言を呈しています。また多頭飼育などで動物を虐待すること及び近隣の住民や地域社会に迷惑をかけるという問題も発生しています。ペットの飼育をやめる、即ち捨てるということの主な理由は以下です。
認知症などの病気
・金銭的、身体的限界
・飼い主の死亡だそうです。
このように高齢者のペット飼育に関する問題が多発しています。最近の犬や猫は人間同様かなり長生きをするようになっています。犬であると、14、5歳、猫は20歳前後ぐらい長生きする子も居ります。そうして飼育する人間も同時に高齢になります。
やがて病気や体力・気力の衰えがやってきます。世話が難しくなります。別の問題としては経済的困難、そして環境の変更に関する難問の生じることもあります。さらにはペットを残して自分が先に旅立つことも起こります。こうしたことはペットにとっても飼い主にとっても辛いことです。
高齢者にとってはペットは重要な相棒・同伴者となります。世話をすることが生きがいとなっているのです。先に挙げたいくつかの制限により、高齢者はペットを諦めなければならないとするなら、それは悲しいことです。現在、それでも何とか高齢になっても、いやむしろ高齢になったからこそ、ペットとの時間を持てるようにとの工夫がされつつあります。

アニマルセラピー

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動物は私達人間の「触れ合ってつながりたい」という欲求に応えて、癒しを与えてくれる存在です。その癒し効果は直接触れなくても、傍にいるだけで得られます。たとえば「犬と人間が互いに目を見つめ合うことで、双方に“愛情ホルモン”というオキシトキシンの分泌が促進される」と言います。人間の夫婦間でもなかかなか見つめ合うなど出来ないのですが、かれらはそういうことが可能とするのです。何という幸せなことでしょうか。しかも犬や猫は気配を感じ取るのが得意で、飼い主の気配を感じていろいろなことを察してくれ、一緒にいて楽しい存在なのです。飼い主が病気の時、言葉はありませんが傍らに寄り添ってくれます。
高齢者にとってペットとの生活は沢山のメリットがあります。散歩に行く、一緒に遊ぶ、生活の世話などを通して高齢者の健康面、生活習慣の改善がもたらされます。
今、高齢者施設のあちこちでこの癒しを与えてくれるアニマルセラピーが実施されています。高齢者たちは満面の笑みで彼らを迎え、触れ合い、生き生きと別人になったかのように振る舞うそうです。
次はある麻痺のある高齢者のリハビリに貢献出来たというケースです。片手が麻痺し握ったまま開かない状態にありましたが、その硬い手の中に犬の大好きなおやつを握らせ、犬に与えるという動作です。開かないうちは犬も訓練をうけていますから、開くまでじっと待ちます。老人は何度も開こうと努力し、ついにはあれほど硬かった手が開くようになったという話しです。これはすごく感動するお話しでした。

ペットが私に与えてくれた事

最後に愛猫が私に与えてくれた大切なことを記したいと思います。
私は独身で今日まで生きてまいりました。看護師として20数年働いてきました。この間両親を看取り、仕事上でも沢山の方たちの死に立ち会ってきました。
職場では患者さんの死に関わっても泣いてはいけない、という不文律があります。この不文律の存在に関わらず私は決して涙は見せませんでした。若い人、子供さんの死であってもそうでした。両親の死でも同じように涙は一滴も生じませんでした。それなのに何という事でしょう、愛猫の死に私は泣いていました。自分でも驚くほどでした。もう必要のなくなった猫皿をみて涙が止まりませんでした。
一体これはどうしたということでしょうか・・・。

私は10数年前から、スピリチュアリズムを学んできました。それにより、真理に沿うような人間に生まれ変わるように努力の日々を重ねてきました。
スピリチュアリズムは人間とは如何なる存在か、死とは何か、人間如何に生きるべきか、神は存在するのか、を教えてくれました。スピリチュアリズムは私を雁字搦めにしていた鎖を解いてくれました。私を暗く不自由な檻から解放してくれました。人間との付き合いは困難で親友もいない、恋愛や結婚も縁がなかったなど随分と偏った人間であるという自覚はありました。そこに光をもたらし、これからの道標を明らかにしてくれたのです。
そうして幸いにも愛猫との心を開く関わりが可能となり、それまでの乾燥しきった硬い心が柔らかくしなやかになったのだろうと思われます。相手はペットではありましたが、これまで発揮できなかった”愛情を注ぐ”ということが見事にできたのです。彼は私の真の友人であり恩人でありました。