一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

統合失調症を考える

f:id:gsirakabawidth=

                        精神疾患に関しては医師でもない私ですが、深い関心を持ってまいりました。そこで今日は精神医療、主に統合失調症への取り組みを概観し、いくつかの問題点を考察しようと思います。統合失調症は脳の機能が原因で約100人に1人が罹患するとされています。

精神面の探求をしたがらない医師たち
精神疾患は原因の特定も治療も困難です。精神面の探求をあまりしたがらない医師が多いのです。解らないことが多く、血液検査やMRI,CTなどの画像検査をしてもです。また人間の機微に関することに関わりたくない、あるいは関われないという理由からでしょうか・・・。
人間は肉体と精神そして霊からなる三位一体の存在であることを知らなければ、人間とは肉体だけの存在であり、せいぜい脳の作用である精神というものを考えてみましょう、という程度の認識となります。到底この複雑な人間を扱うことは出来ません。現代医学では統合失調症について原因を特定することが出来ていません。
現在解っていることは  
1,生物学的要因――遺伝、胎生期から2歳ぐらいにおける神経発達の障害
2,心理社会学的要因――過重なストレス、人生の岐路となる大きなイベント
この二つの要因をよくご覧ください。これらは生まれてくるならば、ほぼ避けられないものです。であるならば誰しもが統合失調症に罹患する可能性がある、ということになります。しかし、統合失調症である、うつ病であると診断されたとしても、社会・家族にとって不都合な者が精神科に連れてゆかれ、病人に仕立てられる、ということが当然のように行われていることを見逃してはなりません。

統合失調症の歴史
人類の発祥と同じぐらい古い起源を持つと言われており、旧約聖書のサムエル記、エゼキエル書にも悪魔の声に悩まされる幻視や幻聴の記述があります。
地球上のどの地域やどの人種・民族にも同じくらいの頻度で発症するとされています。
統合失調症のような精神病は悪魔や憑き物がついたのだと考えられたり、また創造性や予知能力などインスピレーションをもたらすものであると、社会の中で崇められ高い地位を得ていたことも知られています。精神病を患っていても社会の中で人々と暮らすことが可能であったわけです。しかし、17世紀後半になり合理主義的考えにより貧困が怠惰のせいとされたのと同じように、精神病は秩序を乱す邪魔者扱いにされるようになりました。そして巨大収容施設を作り、そこに貧民、精神病者、浮浪者、乞食、梅毒患者、罪人までもが一緒くたに監禁されるようになりました。
そうして18世紀末に入り非人道的な扱いからの解放運動が始りました。
人間的な側面から精神病を理解するという取り組みです。ここでようやく、外的な悪化要因と患者のパーソナリティが抱える脆弱性との相互作用によって精神障害が起こるという考えが提起されるようになりました。
幻覚や妄想といった症状自体よりも、その背後にある心の働きを探ることが患者を理解するうえで重要と指摘しており、今日の精神医療に大きな影響を与えることになりました。

日本における精神病者の扱い
明治33年に「精神病者監護法」が制定され、精神病者の私宅監置、即ち座敷牢への閉じ込めを肉親に義務付けました。これは病者の治療のためではなく、精神病者は何を仕出かすか解らない“危険な”存在と見なしてきた――世間の偏見――によるもので病者を社会から隔てるための措置であったのです。                      昭和39年にライシャワー元駐日大使が少年にナイフで切りつけられるという事件がおきました。翌年の40年には「精神衛生法」が改正され、さまざまな福祉的要素が盛り込まれましたが、同時に「緊急措置入院」という強制力を伴うものでもありました。

私は子供の時、8歳ごろだったと思いますが、ある家の離れに檻のようなものが設えてあり、そこに閉じ込められている女の人を見かけました。
後にそれは座敷牢でありその人は精神異常者だったことを理解しました。
精神疾患の患者さんを見たのはその時が初めてでした。長じて看護学生3年生になり精神科病棟での実習があり、そこで衝撃的な場面を幾つも目にすることになりました。
実例を幾つか挙げてみましょう。
● 閉鎖病棟保護室に14歳ほどの少年が収容されていました。壁の高いところに金網のついた窓が一つありました。その窓に向かって夜な夜な叫び声を発します。まるで月に吠える狼を連想させられました。
● 腰と膝を折り曲げたままの40代の男性はその姿勢のまま“スパイク、スパク”と呟いています。着衣はボロボロの上着のみで下半身はなにも身につけていなかったように記憶しています。長い間座敷牢へ監置されていた為体が曲がったまま拘縮してしまったのです。よほど狭く窮屈で体を伸ばすことも出来ない所だったことが推測されます。排泄の世話も十分ではなかったかもしれません。彼は元英語教師であったと聞かされました。発する言葉はただ”スパイク”という英語の単語だけであるというその姿からは到底人間とは思えない様相です。言葉を失ったことは疾患そのものの特徴である認知機能の低下と共に、長い間他人との会話が断たれていたための二つの要因が考えられます。
● 電気ショック、インシュリンショック療法を受ける患者さんは多数いました。治療室は床がタイル張りになっています。ショック療法によって大量の発汗があり、床がびしょ濡れになるので掃除がしやすいようにという理由からそうなっているのです。
● ロボトミー(★)を受けたある患者さんは手術を受けたという病識がないため、頭に巻いた包帯を自分で外し廊下を徘徊します。
 カッコウの巣の上で」というアメリカ映画を観たことがあるでしょうか。ある男性患者がロボトミーをうけ、廃人になります。
ロボトミーはエガス・モニスという人が考案し、臨床に於いて1949年から1975年にわたり世界中で実施されてきました。彼はこの功績でノーベル賞を受賞しています。(ちなみに私が学生としてここで実習したのは1960年です。)たとえ当時は世界的な功績と崇められてノーベル賞を受賞していても、時間と共にその間違いが明らかになる、ということの典型例でありましょう。これは前頭葉白質切載術であり人格変化を望ましい方向へ向けることが出来るという治療でしたが、深刻な副作用が起こり世界中で禁止となりました。
ここで見たような光景は多分今はもう見ることはないでしょう。もう60年も前のことです。当然ないものと信じます。

現在の精神医療の実
私は最近の精神科医療についての知識は寡聞にして殆どありません。書籍などでいくらかの知識は入手していますが十分ではありませんので、断言することは避けようと思いますが、社会的入院は相変わらず続いているようです。ノンフィックション作家の織田淳太郎氏の著書「精神医療に葬られた人々ー潜入ルポ社会的入院」にはそのことが克明に記されています。たとえば40年間入院生活を続けている一郎さん(仮名)、どうしてこのように長い間社会に復帰できないのでしょうか?最大の理由は社会に受け皿がないということです。また民間経営の精神科病院(ある理由により日本ではこれが圧倒的に多い)では常に満床にしておかなければ採算が取れないのです。患者が退院したがらない、というよりは病院が退院させないというのが実態の様です。
治療は主に薬物によります。
作用機序はたとえば神経伝達物質アセチルコリンの分泌を抑える、それにより症状を抑え込むということになります。しかし、そもそも人体には必要あって様々な機能が備えられているのであり、無駄なものは何一つとしてありません。それを抑える、というのは如何なものでしょうか。好ましくない副作用が程度の差こそあれ出現します。昔は虫垂炎になるとこの臓器は無くてもいい臓器だからと言って切除術をしました。しかし、今はこれは免疫細胞をつくる大事な働きがあることが知れるようになっています。薬は”やむを得ず使う”というスタンスで用いることが肝要かと私は思います。
心理療法として精神分析法、認知行動療法、来談者面談療法などがあります。
「精神科は今日もやりたい放題」の著者内海聡氏は修行・修養を勧めています。具体的には登山・マラソン太極拳・ヨーガ、断食、教育(コミニュケーション技術を含む)を挙げています。

私達は楽しいこと、華やかな事に興味がそそられ、汚いもの、嫌なものには蓋をして見ないように、無いもののようにした来たのではないでしょうか・・・。もしそうであるなら大いに反省し、同じ人類の仲間・兄弟である彼らに温かい目を向けていきたいものです。彼らは自己主張をすることの下手な不器用な存在です。弱者なのです。それを見ないふり・切り捨てる、ということがあってはなりません。それは恥ずべき事であり極めて非人間的な行いです。進化した人間のすることではありません。
現時点の人類は未だ未熟で利己主義と唯物思考に覆われています。それらを止めて利他主義に生きなければなりません。人.間は肉体だけの存在とする唯物的思考から、精神的・霊的存在であると認める生き方へと転換することです。悲惨さばかりが目につく昨今ですが、有用な情報を手に入れてください。それを祈願して今回の記事を終えます。長文になりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

参考・引用文献
「精神医療に葬られた人々ー潜入ルポ社会的入院織田淳太郎(光文社)
統合失調症岡田尊司PHP新書
「精神科は今日もやりたい放題」内海聡 (三五館)
ブックレットシリーズNo1統合失調症ABC」上島国利監修(心の健康情報局すまいるナビゲーター)