一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

霊的新時代の到来

  肺がん闘病記 - 希望の光 末期ガンから奇跡の生還 

雑多な知識からスピリチュアリズム
 私は読書が趣味でした。しかし、ここ最近あまり本を読みたいと思わなくなりました。なぜか?老化現象で、脳の機能が衰えて、意欲が低下し様々なことに対する興味・関心が薄れてきたのではないか・・・、とも考えました。しかし、どうやらそうではなく、興味・関心の対象がこれまでの種々雑多なことから、焦点が絞られてきたということが判明しました。
 これまでは様々な分野の書物に親しんできました。
宗教・思想・教育・健康・医療・心理学・環境問題・動物愛護関係などいろいろでした。それらは勿論、非常に大切ではありますが、人間の本質は霊であり、精神・魂・霊に関する事が人間にとって最も大切であることが明確になったということなのでした。
 ですから一番肝心な事ことを蔑ろにしていては、大切なこの地上人生を無駄にしていると言うことになります。地上人生は決して長くはありません。私は間もなく80歳の誕生日を迎えます。10数年ほど前に、この地獄の様相を呈している地球人類を霊的に救済しようとするスピリチュアリズムを知ったのです。
 勿論、遅すぎたということは在りません。スピリチュアリズムに出会うためにはそれなり の準備が成されていなければなりません。私にはそれだけの期間が必要だったということです。その期間は人それぞれであり、短期間の人もいれば、時間のかる人もいます。あるいは今回の地上人生中にはその出会いが訪れないかもしれません。いずれにしてもその時期が来ていないなら、真理は近づいてきてはくれません。近づいても理解をしてくれないからです。
 そうして時期が来て本物の霊的真理に出会ったなら、いつまでもどうでも良いものに執着していてはならないのです。
シルバーバーチはこのことを次のように言っています。
「私自身としては幼児期を過ぎれば、幼稚なオモチャは片づけるものだという考えです」    地上人類への最高の福音 (スピリチュアリズム普及会版) P237  
 私達は霊的なことを全くと言ってよいほど知りません。霊的な赤子なのです。学び、大人にならなければ人間として成長したことになりません。この地上人生でどんなに学問をし、業績を積み名声を得たとしても、人間は霊的な存在でありますから、霊的成長が成されていないなら、それは虚しいことなのです。それにはまず、霊的真理を学ばなければなりません。
 長い歴史を通して私達人類は多くの宗教・思想を起こし、学んできましたがどれも役に立たなくなっています。いうならば、それらはもう御用済みということになります。というより正確にはその殆どが間違いであったということです。そのため、数知れないほどの惨劇が宗教により起きてきたことは周知のことです。
 しかし今、霊的新時代へと突入したのです。
悲劇の地球人類史からの脱却、人類の霊的新生、魂の革命の時を迎えたのです。新しい知識がもたらされているのです。
 人間は死んだらどうなるか、死とは何か、死後の生はあるのか、霊とは何か、神は存在するのか、人間はそもそも何の目的があってこの世に存在するのか、こうした最も根源的な問題を私達は蔑ろにし、上辺だけの幸せを求めて右往左往してきました。それで魂は本当に満足してきたでしょうか・・・。幸せであったでしょうか・・・。
決してそうではなく、いつも心の深いところで、こんなはずではない、と虚しさを感じて来たのではないでしょうか。
孤独の人生
 私自身の人生がそうでした。幼いころから私は孤独でした。親にも友達にも心を開いて接することはできず、夢想の世界にいたように思います。
 若い頃には宗教団体に属していましたが、そこでも何ら救いになることは見い出すことは叶わず、かえって苦しみで一杯となりました。10年間教団による囚われの身となり、そこで苦しみました。ようやく脱出し、看護職に復帰し役職にまで就きました。しかし、そうして自由の世界を得たはずでしたが、やはり上手く適応することが出来ず、質こそ違いますが苦しみは続くこととなりました。
 これはどういう事かと言うならば、私はこの世の常識に染まり切れない、納得できない事だらけだったのです。
この世の何処にも自分の居場所を見つけることが出来ないのです。
次のような言葉があります。「この世を旅するものであれ、この世の者となるなかれ」イエスの言葉とされています。この言葉はわたしにはとてもしっくりときます。
 この世は体験を積むための旅先であり、本来の住処ではありません。必要あって一時、旅をしているのです。本来の住処に在って人間は初めて魂の安らぎを覚え、安堵することが可能となるのです。
 私は度々、自分の人生は生きづらいものであったと口にしてきました。私にとってはこの世は馴染めない事だらけでした。
この世はしっくりしませんでした。自分の住む所ではないように感じていたのです。当時は特にそのことを意識していたわけではありませんでした。が、人間とはもっと自由で、温かくて、共に居て心地良いものだと思っていたのかもしれません。
 苦しむ若者にエールを送る
 こうした体験は何も私だけの特殊な体験ではありません。多くの若者が生きづらさに苦しんでいます。引きこもりの若者やうつに苦しんでいる若者、職場や社会に馴染めず、苦しんでいる人はなにも若者だけではありません。大人であっても苦しんでいる人達は大勢存在します。彼らもまた自分の居場所を見つけることができないでいるのです。
 私の過去のブログでも書きましたように、むしろそうした人たちは真面目で人生に真摯に向き合っている、純粋な魂の持ち主と言えるでしょう。彼らが勇気を出して真理の探求をしてくれる様激励したいと思います。

 地上人生は永遠の霊性進化(霊的成長)の道程の、ほんの一コマにすぎません。地上人生の最大の目的は、物質世界の体験を通して霊的成長の基礎を作ることです。地球はその意味で、霊的な訓練場所と言えます。

繰り返しとなりますが、もう一度書きます。
 霊界、地上の準備がようやく整い、降ろされたスピリチュアリズム(霊的真理)です。その真髄を理解し、主導されるイエスの願いに答えてまいりましょう。2000年前に人類の霊的新生をはかり、救いの使命を果たそうとした、あのイエスの切なる願いをです。