一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

カルマの清算と苦しみの人類史

 シルバーバチの言う”全ての宗教は間違いであり、無い方が良い”ということに関して考察しましたので、それを僭越ながらここに述べさせて頂きます。あくまでも現時点の私自身の到達したレベルでの私見となることを始めにお断りさせて頂きます。
人類史は宗教と共に在った
 科学的世界観が広まった今、人間は努力によってそれまで不可能だったことを可能にし、進歩ができることを知るようになりました。人間主義個人主義とも相まって欧米、特にヨーロッパにおいては宗教離れが目立つようです。
 とは言え、人類は歴史上いつも何らかの宗教と共に生きてきました。きっても切り離せない関係にあったのです。我々日本人がたびたび口にする言葉に”私は無宗教です”というものがあります。ところが新年や7.5.3のお祝には神社に詣で、愛車には交通安全祈願のお守りをぶら下げ、結婚式はキリスト教会で行い、クリスマスを祝い、さらに葬式は仏式で執り行ったりします。信仰心は深くはないが(いや信仰心はなく、むしろ形式化している)、それなりに宗教と関わりを持っていることが伺えます。
 ヨーロッパでは2000年来キリスト教が主流でした。イエスが地上に居た時は弟子たちはイエスの教えを真に理解することができませんでした。そうして民衆の無知ゆえにイエスは十字架に架り地上を去ることになって仕舞いました。その後西暦1848年にスピリチュアリズムが勃興するまでの1800年間は、地上に一切の霊的光の差し込まない暗黒の時代となりました。この間、時の為政者・民衆の無知ゆえに圧政・貧困・病苦に苦しむ歴史が延々と続いてきました。神の書とされて来た聖書も、後の為政者たちの都合に合わせて書き加えや改竄が成され、イエスの教えからは大きく外れてしまったのです。間違った教え、贖罪論や三位一体説など大きな誤りを犯したのでした。
 日本では、平安時代中期に阿弥陀仏への他力本願を根本とする浄土思想がもたらされ、人々はそこに救いを求めました。当時の人々もまた圧政・戦争・天災・貧困・疫病に息も絶えだえ、死者が続出するありさまでしたから、来世にせめてもの希望を託し阿弥陀仏にすがったのです。他力本願の教えは自分で努力して向上しようという思想ではありません。
無知の暗黒のなかで
 冒頭でシルバーバーチは”全ての宗教は間違いであり、無い方が良い”と述べていることをあげました。それは、これまでの宗教は霊的知識を正しく教えないばかりか、霊的事実から大きくかけ離れた教えにより、人々を”霊的牢獄”に閉じ込め霊的成長を妨害してきたからと言うことなのです。
 当時の人々は無知の暗闇の中で暮らさざるを得ない状況でしたから、他力本願はダメとか、努力が足りないなど彼らを責めることは一切できません。しかし、間違いは間違いなのです。この後述べてまいりますが、その時はまだ人類全体としてのカルマの清算が成されておらず、救いのための宗教が様々起こされて来たものの、根本的な救いとは程遠く部分的救いでしかなく、更には間違いが多々ありました。しかし、今は明らかに事情が異なります。時代は大きく変わったのです。いつまでも旧態依然のままで良いはずはありません。
 クリスチャンたちは天国へ、仏教徒たちは極楽へ行けるようにと、ただすがって来ました。しかし、人間は自分自身で努力し進化・向上してゆくよう創造されていますから、お願いばかりの他力本願、間違った教えでは誰一人として天国、あるいは極楽には行けないのです。 最近の霊界通信で明らかにされたこととして、2018年に99歳で死去した現代の最も偉大なるキリスト教の伝道師と言われたビリーグラハムの霊界での様子が知らされました。それによると、彼は死後、混乱と激しい心の葛藤と苦悩の中にいるというのです。以下は霊界に行ったビリーグラハムの言葉です。
「驚いた。天国に行けると思っていた。それなりの地位をえていたから。自分で言うのも何だが、それにふさわしい場所へ赴くと思っていた。それなのに、そのはずだと思いこんでいた自分が大バカだったのだ。信じられない。どうしてこの私がこの境遇なのだ?の連続だった」
20世紀最大のカリスマ伝道師の死後の様子 スピリチュアリズム普及会 インフォメーション44からの抜粋   宗教界で最も偉大なる人物とされてきた彼でさえ、天国とは程遠い所に置かれていたのです。これが実態なのです。
地球を覆うカルマ
 この地上世界の霊的暗黒というのは、言うなれば地球人類全体としてのカルマということが出来ると思います。今、このカルマが清算されることで、ようやく地上にも霊的光が差し込むことができるようになったのです。
これにより、イエスの地上への霊的再臨が可能となったのです。
 では地球人類全体としてのカルマとは何でしょうか?それは2000年前に人類の無知ゆえにイエスを十字架上に追いやった罪を挙げることが出来るでしょう。歴史に”もし”ということは禁句ではありますが、もし、イエスがあのような死に方をしなかったなら、人類史は違っていたはずです。もっと人類は進化し霊的なことがらにも通じ、光明の中に暮らせたと思います。今のような戦乱・無慈悲と残酷・数々の誤り・混乱はなかったはずです。
神が人類と宇宙を創造した目的
 それでは人間は何故に創造されたのかを復習します。
ここでは、神が人類及び全ての被造物を創造されたということが前提となります。神は自分に似せて人間を霊的存在として創造しました。神は愛の存在でありますから人間や他の被造物を愛し、人間は神を愛するという関係を願ってです。人間は初めから完全ではありません。少しずつ肉体・精神・霊を成長させ進化してゆきます。つまり大人になってゆくのです。子供のうちは親から一方的に愛されますが、大人になり自ら愛の存在になることを神は願われ、私達を創造されたのです。つまり私達人間の究極の目的とは霊的成長を為し、親である神に似た存在となる、ということに尽きるのです。
エスの地上再臨とは
 スピリチュアリズム普及会では「イエスが地上に再臨を果たした」と、2021年4月にインフォメーション41号で公表しています。
エスの再臨は2000年間クリスチャン達が待ち望んできたことです。地上天国が実現し、永遠の救いに与ることができるというものでした。
 ”イエスの再臨は霊的な事ゆえ、私たち地上人には特別な人間以外には認識できません。しかし、すべての高級霊界人達が認めることであり、時間の経過とともに全世界に広まり認識されてゆくものとなります”、ともインフォメーション41号に述べられています。これが「霊的新時代の到来」ということなのです。真っ暗だった地球上にようやく霊的な光が差し込むことが出来るようになったのです。居眠りをしていてはなりません。光は何処にあるか、その片鱗はどこにあるか、騒がしい世にあっても注意深く耳を澄まし眼を凝らして頂きたいと思います。霊的新時代に相応しい人間となれるよう共に頑張りましょう。