一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

霊的新生について

スピリチュアリズムでは①霊的真理を正しく理解し、それを②忠実に実行、③霊的成長をしていくことが地上人類の目的としています。

 こうして霊的新生が成されて行くことになります。そこで今回は霊的新生について考えてまいります。私達人間は霊的な事柄に関しては酷い無知状態にあります。地球上のあらゆる惨状は霊的無知ゆえに生じています。これまでの地上の学問は寄って立つ確固とした真理を見出せないままに築き上げてきたため、どの分野に於いても中途半端で不完全の域に留まっています。真に人間を幸福にすることができないで来ました。
 そのため、霊界の高級霊たちがスピリチュアリズムという人類の霊的復興運動を地上に展開すべく働きかけて来ました。
その高級霊のひとりにシルバーバーチという霊がいます。この霊は3000年前に地上を去り高度に進化した私達の先輩です。その霊がこれまで人類が全く知らなかった数々の知識・叡智を伝えてくれました。私達人類の進むべき道を示してくれました。
人類が長い長い間、眠りこけて居たところを目覚めさせ、進歩・成長をして行くためには、こうした叡智が必要でした。

今回は9月の東京スピリチュアリズム・サークル読書会で学んだ内容を踏まえての記載となります。ではまず、①霊的真理を正しく理解するについてです。
 私達スピリチュアリストは「シルバーバーチの霊訓」を現在の地球上に於いては、最高の教えと受け止めています。それでは、私達は「シルバーバーチの霊訓」を本当に正しく理解しているのでしょうか?
 シルバーバーチを読んだ、という人は可成りの数に及ぶことと思われますが、それではどのぐらい読んだでしょうか。せいぜい1~2回ではないでしょうか。中には正しく理解していないことが多々あるようです。
 自分の感動した所はしっかりと読んではいるが、耳に痛いところはすっと流し、それで済ませてはいないでしょうか。また、シルバーバーチの言葉を自分の都合に合うように、捻じ曲げて解釈してしまうなどしてはいないでしょうか。
 点の理解・部分的理解となっては本当に理解したことにはなりません。全体を包括的・系統的に理解して初めて真の理解ということになるからです。
真理の学習は徹底した学習がどうしても必要です。1~2度の学習で済ませてよいものでは決してありません。さらに付け加えるなら、祈りと感謝の念が必要です。

次に②忠実に実行と言う事についてです。
 スピリチュアリズムの教えの中でも最も重要な事と言えば、“霊主肉従”という項目が挙げられます。全ての事柄において霊的なことを優先させるということです。
これに関して、私達は次のような言葉を口にしたり、あるいは耳にしたことがあるのではないでしょうか。“そんなことを言っても現に今は地上にいるのだから、現実社会に適応しなければならない、そのような原理主義的な発想は出来ない“というものです。しかし、この考えは自分の都合です。私達はシルバーバーチの教えに忠実であろうとしているのではないですか?私達はどちらかの教えに従うことしかできません。折衷という考え・行動はあり得ません。勿論、今この地球という惑星はあまりにも未熟でありますから、何事も完璧というわけにはまいりません。今スグには出来なくとも、心を強くし努力することは出来ます。軸足をしっかりと霊界に置き、理想を見失うことなく堂々と立ち向かっていくしかありません。
 私は常にこう思うようにしています。“自分は今この世を旅しているが、この世の者ではない、身はこの世にあるが魂はいつも霊界に居る”と。つまり、自分は霊界人である。必要あって今地上に修行に来ているのである、ということです。努力によって私達は霊的成長ということが可能となります。

   ここから今回のテーマである③霊的成長(霊的新生)というところに入りたいと思います。霊的新生ということはこれまでの自分を捨て去り、新しく生まれ直すということに他なりません。古い自分、誤りや、未熟さ、こうした傾向を一掃し違う自分になるのです。慣れ親しんだ自分をすっかり捨て去る、ということは簡単に出来ることではありません。今流に言うならば、アイデンティティの問題に関わることになりますので正に死に値するといえます。これまでの常識・習慣・価値観・正義、これらを見直すのです。否定するのです。今一度、わたしたちは霊的に生まれ直すことが要請されています。一度死ぬのです。
”自分は何も捨てるものはない、全てこれまでと同じで何の問題もない、生まれ変わる必要などない”、と主張されるなら、その方は私達とは縁がなかったということでありましょう。しかし、そのような方でも、内心では自分の弱さ・未熟さを隠して置きたい、という心の現れではないかと私は思います。実はどんなに隠しても霊界からは全て見通されていることを思い出してください。
 本当にどうにもならない絶体絶命の窮地に立った時、初めて己の心を顧みることが出来るようになるのかもしれません。“生まれ変わる“ためには、深い内省の末に魂が揺り動かされて初めて可能となるのでしょう。敢えて言うならば、「荒療治」が必要と言ことになります。言い訳をしたり、シルバーバーチの言葉を自分の都合の良いように捻じ曲げて受け止めているうちは、自己変革・新生のスタートラインに立つことは出来ません。過酷ではありますが真に魂が目覚めるためには、こういう体験が何度でも味合うことになると思われます。一度だけでは足らないということもあり得ます。
 私事で恐縮ではありますが、私は死を連想するような病気を何度かしております。一度では十分に目覚めることが出来なかったならばその試練は何度でもやってきます。それを嫌な事、禍々しいと捉えるのではなく、至らないところを深く反省をし、この様にしてでも導いてくださる、神さまと霊界に感謝の念を捧げてまいりました。
 ただ、こうした試練は必ずしも今生の生き方に問題があるためばかりではありません。つまり前世・前々世・ず~と過去の生き方、さらに人類全体のカルマという問題がからんでいるということです。ですから、この試練は全部自分のせいと自分を責め、落ち込む必要はありません。だからと言って開き直ることを奨励しているわけではありません。
 スピリチュアリズムの目的は人類の魂を呼び覚まし、一人でも多くの人間に本当の自分に気付くことが出来るようになることにあります。日常生活の中に於いて霊の本性と属性を発揮することが出来るようになることです。
本来の人間の備える資質をシルバーバーチの言葉の中から探してみました。
・気高さ ・崇高さ ・威厳 ・豊かさ ・光輝 ・美しさ などです。
 これらはそれぞれの側面として現われることもありますが、すべて混然一体となって表現されるでしょう。例えば、美しさの中には更に寛容さや優しさ、温かさも含まれると思います。これらは全て美しく、そしていうならば愛そのものの現れでありましょう。
 人類の救いと言うとき、その人類の中に自分自身が含まれるという事をよく理解していなければならないでしょう。論評で良く耳にすることとして、社会が悪い、政治が悪い、学校が悪いなどを口にし、それを正せねばならない、と主張します。ではその社会は誰が作ったのか、自分自身の責任はまるで感じていないかのようです。自分自身は一体どのような人間なのか?という視点が欠落しています。
 物事を観るとき、全体を観る、そして自分自身を見る、という二つの視点が欠かせません。どちらかを抜きにして論じようとするなら、その点をあらかじめ断った上でなされるべきでありましょう。私達は評論家ではありません。あくまで霊的真理を土台とした実践者ですから、自分の都合の悪いことを棚上げしたまま、という態度はいけません。事を一般論にすり変えて潜り抜けようという図り事はなりません。たとえ一時、問題を先送りしたとしても解決しない限り、問題は永遠に未来へと引きずったままとなります。古くから言われている言葉があります。“人を変えようとする前に自分自身を変えよ”です。
最後にシルバーバーチの言葉を紹介して今回の記事を終わりといたします。
「地上には自分を変えようとせずに、世の中を変えようとする人が多すぎます。他人を変えようと欲するのですが、全ての発展、全ての改革にはまず自分から始めなくてはなりません。地上人類の霊的新生という大変な事業に携わっていることは事実ですが、それにはまず、自分を霊的に新生させなければなりません。真の自我を発見しなければなりません。心を入れ替え、考えを改め、人生観を変えて魂の内界の神性を存分に発揮しなければなりません。」    シルバーバーチの教え(1)p164