一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

霊的真理の正しい理解~これまでの自分の価値観、常識との戦い

  私達は皆霊的存在である 
 人は皆何らかの価値観に基づいて生きています。このブログをご覧になられる方は、あるいは常日頃から「シルバーバーチの霊訓」に親しんでおられるかもしれませんね。 以前、このブログで”人生観の転換”を取り上げたことがありますが、今日はそれと密接な関わりのある”価値観”について考察してまいります。「シルバーバーチの霊訓」は、霊界と地上界の全体を貫き通す「神の摂理」を“絶対基準“としています。私達は今地上生活をしていますがここは仮の住まいであり、本来の住まいは霊界なのです。この地上生活は霊的成長をなすための基礎をつくる一時的な生活の場なのです。
 私達の住むこの地球は物質で出来ており、私達もまたそこに住むためには肉体という物質をもっています。しかし私達は単に物的存在ではなくその本質は霊なのです。霊的存在と言ことです。世界は近代に入ってからは物質主義一色に覆われてしまい、自分たちが霊的存在であることをすっかり忘れてしまいました。

 人間にとって最も価値あることは「霊的成長」
 スピリチュアリズムは人類の霊性復興を目指しています。物質中心の価値観により物欲・肉欲に走り、そのために必要なお金を稼ぐことに終始し金銭第一主義に陥ってしまっています。そうした生き方から180度方向を転換させることが必要なのです。人間は神によって永遠に霊的進化の道を辿る存在として造られました。ですから、霊界にあっても地上界にあってもすべて「霊的成長」を為すことが人生の目的であり宿命なのです。地上人生の全ては霊的成長のためにあるのです。肉体生命は長くても100年ぐらいで、その短い人生は永遠の霊界での生活に向けての準備期間であり、基本的な霊的成長を達成する期間であります。
地上人生はさまざまな人間関係をつくり、社会生活を営み仕事に従事しますが、その全てが霊的成長のために在ります。

 霊的成長はどのようにして為されるのか?
 それでは極めて本質的な話に入ろうと思います。それは霊的真理を知る、理解するというところから始まります。人類は長い期間、霊的真理から隔絶された中で生きてきました。霊的暗黒世界でありました。人間とは如何なる存在か、生きる意味は何か、神は存在するのだろうか、死後どうなるかのだろうか、これらのことが全くと言ってよいほど分からずに来ました。正に暗闇の中を手探りの状態で、右往左往して疲れ切って地上人生を生きて来たのです。 
 そうしてようやく170年程前に地上にも霊的光が届き始めました。スピリチュアリズムの勃興です。1848年アメリカの片田舎で起こったフォックス家事件と言われる出来事です。やがて1920頃英国でモーリス・バーバネルを霊媒として「シルバーバーチの霊訓」が霊界から降ろされました。「霊界通信」です。当時欧米を中心にあちこちで交霊会が行われてきました(現在も行われている)。その霊界通信の中でも、「シルバーバーチの霊訓」は最高峰とされています。霊界の高級霊であるシルバーバーチ霊媒バーバネルの口を使って霊訓を語ります。後になって分かったことでありますが、それはあの磔刑となって霊界に還ったイエスの思想そのものでした。

 人は皆何らかの価値観に基づいて生きている
 そしてここからが、今回のテーマに関しての話となります。冒頭に挙げたフレーズですが、これまでの人生でどのような事に価値を置いてきたかです。永く生きてきた人物、社会的評価を得ていた、あるいは一定の地位にあった人物など、それなりの人物像が出来上がっている事でしょう。そしてその価値観に基づき生きています。そのような人が霊的真理を知ったからといってすぐに真理を受け入れられるかどうか難しいことでしょう。かなり抵抗があることは容易に想像できます。
 霊的真理を知ったからといって、これまでの自分の価値観が一気に雷にでも撃たれたかのようにガラリと変わるわけはありません。これまで自分が常識と思ってきたこと、正しいと信じてきたことを覆すのは可成り難しいことです。衝撃的なことが己の身に起こった時、初めて立ち止まります。これは一考を要すると気づくわけです。ここから自分自身との熾烈な闘いが始まるわけです。

霊的真理を受け入れられるには条件がある
 実は霊的真理を受け入れられるかどうかは、一定の霊格と知識がどうしても必要になるのです。そして真のスピリチュアリストとは、要約すると①「イエスの地上再臨を受け入れる」②「シルバーバーチの霊訓」と“思想体系“を正しく理解し実践する、そして ⓷「イエスに自分の人生を捧げる」が不可欠であると学びました。実は私にとって、この②がものすごく難しいことに思えるのです。”正しく理解する”これはその人物の言動を、見る目をもつ人物が客観的に見れば正しく理解しているのかそうでないかを知ることは出来ます。しかし、私を含めて当の本人は中々自覚できないことがあると思われます。つまり、自分の言動が摂理にそって居るのか居ないのかを見分けることが出来ないということです。このことを他人が説明しても当人は容易には理解できません。相手の心が安定しない時にそれを行ったなら、かならず反発が返ってきます。じっと待つしかないこともあることでしょう。

 霊格・人格の向上
 これまでの常識から脱して霊的視野で全てを俯瞰できるためには、霊格・人格を向上させる以外には方法はないように思います。
 これこそが地上人生での醍醐味、修行でありましょう。修行といっても滝に打たれたり、断食をするということではありません。日常生活そのものが修業なのです。
”利他愛”という言葉一つでも何が利他愛で何がそうではないか、ということが互いに考えが違っているということがあります。”愛”は優しくもあり、厳しくもあります。場合により状況により話す言葉が、取る態度が異なるはずです。そのような機微に富んだ対応が出来るよう人間性を高めなければならないと思います。
 行き詰まった時に私は普及会からの“思想体系”を取り出しじっくり読み返します。それでも尚、自分は特別なのだとか、例外はあって然りとか言い訳をしている自分を発見します。自分を正当化してはなりません。今の自分の姿(至らない自分)をじっくりと見つめ、認めます。そして悔い改めます。不足していたのはどれだったのか、どうすれば良かったのか、これを繰り返します。
 解ったこととしては私は物事に対してじっくり落ち着いて判断せず、直ぐに感情的に反応してしまうこと。冷静さに欠けるということです。これでは霊的視野から離れてしまい物事を俯瞰出来なくなります。自分が霊的に低い状態の時には、相手に対して嫌悪感、更には憎しみの感情に発展してしまうことさえありえます。

 そうならないために、全てを高級霊の視点で観るように自分を諫めています。高級霊は“愛“そのものです。決して相手を見下したりせず、寛容心そのものです。”愛“は優しく、そして厳しいのです。辛いと思うときには、それは己を成長させんとする、高級霊界からの”愛のムチ“と理解します。もっと成長できるから、霊界は耐えられると見たときには厳しい”愛のムチ”をくださいます。とても有難いことと今は思えるようになりました。

最後に改めてお知らせいたします。スピリチュアリズム普及会ではインフォメーション No.48を公表いたしました。
スピリチュアリズムの進化の3段階 
どのようなことが書かれているのか是非、ホームページを閲覧してくださいます様ご案内いたします。