一スピリチュアリストの声

10年程まえスピリチュアリズムに出合いました。まだまだ学びの途中にありますが、これまでに知り得たこと、経験したことを混じえながら、今思う事を綴っていきます。

「生きづらさ」について

             今回は生きづらさ、についてです。

           希望のささやき~ 由紀さおり・安田祥子 - YouTube

生きずらさを大人になってから自覚する場合と、すでに子供の頃からそう感じてきた、という方も多いと思われます。きっかけはいろいろあるでしょうが、幼稚園に行きたくない、あるいはどうしても学校に行きたくない、と不登校になってしまった、さらには何とか社会に出て働き始めたものの馴染めない、ストレスが高じて鬱になり出社来ず、ドロップアウトしてしまう。

社会できちんと仕事をし、生活してはいるものの、周りの人達とは親密になれない、どこか浮いている、親友は一人もいない、何かと問題を起こしてしまうなど困難を感じている場合もあります。

今、不登校・引きこもり、ニートなど社会問題になっています。この社会という現実に馴染めない、違和感を感じる、そのために上記のような現象が起きてしまっているのです。
今、自宅に自室に引きこもっているあなたは、何故そうしているのでしょうか?
他の皆と同じようにどうして学校に行かないのでしょうか?
なぜ会社に行かなで引きこもっているのですか?

 外の世界は危険がいっぱいで自分を傷つける、恐怖、不安、どうして良いか分からない、学校や会社へゆく意味を見出せない、誰も友達はいない、相談する人なんか居ない、更には人間なんて信じられない、そもそも何でこの世に生まれて来たのかさえも判らない。譬え親であっても信じられない。信じられないけれど、自分ひとりでは生きてゆけない、だから取合えず自宅・自室に閉じこもる。

 自分の居場所が何処にもないのです。周りは皆「敵」に見えます。天涯孤独ともいえる状況です。希望が何処にも見出せないのです。できることならこの世から消えてしまいたい、とすら思います。そうして本当にそれを実行してしまう場合があります。でも、ちょっと待ってください、と今私は申し上げます。

私もかって、高いビルの上から身を投げようか、と思ったことがあります。ですが、その時、ふと、屋上から足を離し地面に落ちるまでのホンの0.何秒間に“しまった!早まった!”思ってもすでに取返しがつかない、と思ったのです。それでそれは実行に移すことはありませんでした。そうして今日の私が存在しています。

 人々は実は小さな穴の中、しかも暗く狭く、周囲が全く見渡せない世界に落ち込んでいると言えます。外の世界がどうなっているのかが分かりません。そもそもそこ以外に世界があるということすら理解できません。つまり、”井の中の蛙”です。そこが人生のすべてと思い込み、理不尽なこと、矛盾することがあっても、不満があっても我慢します。身動きが殆ど取れなくてもです。江戸時代の鎖国下にあった我々日本人もまたそういう状況でした。

しかし、それに納得し兼ねる者たちがそこで反旗を翻します。これはおかしい、これが人間のあるべき姿ではない、もっと違う世界があるはずだ、と。

若いかたには「井戸」といものがどういうものかピント来ないかもしれませんね。昔、私の子供時代には、家の前に井戸がありました。まさに”井戸”とはそのような代物です。
ついでですが、「お菊の皿」という怪談を聞いたことはありませんか?
その元となるものは幾つもあるそうですが、お菊という身分の低い女性が主の大事にしてきた皿を一枚割ってしまい、殺され、そして井戸に投げ込まれた、それを恨み、お菊の亡霊が夜な夜な現れる、という話です。井戸は命の水をくみ上げる大切なものであると同時に暗く悲惨なものの象徴とされてきました。

 ところで、引きこもっているあなたは、社会で何事も無いかのように過ごしている多くの方々よりも、むしろ私は立派であると思います。どういうことかと言いますと、それはこういうことです。

世の中は間違い、偽り、欺瞞、無知に満ちているにもかかわらず、井戸の中での生活しか知らないので、それを疑問に思わず、ただ多くの人たちがそうであるので、取りあえず“右へ倣え“形式に唯々諾々と流れに沿って歩いていると言えます。まるでロボットの様です。(最近のロボットは進化していて、かなり自律性を得ているようではありますが)人間とは本当はどうあるべきか、脳はあるが考えていない、目は開いているが見ていない、耳はあるが聞いてはいないのです。狭くそして深く暗い無知の井戸に居続けるのです。しかし、あなたはその誤りに気づいてしまったのです。だから、世間に自分の居場所がなく感じられるのです。

この社会は生きずらい、これは何処かおかしい、変だ、と。周りが変なのか、自分が変なのかわけが分からなくなってしまう。誰かが、あなたをあなたの自室から引きずり出してくれても、そこに光がなければまた同じことの繰り返しになってしまいます。そこはあなたの居場所ではないからです。

ではどうすればよいのでしょうか?

光明を賢明に求め続ること、諦めずに真実を求めること、としか私には言うことは出来ません。それでも真に求め続けるならば天はかならず答えてくださる、と申しあげます。

 次の言葉は、交霊会()での高級霊の祈りの言葉です。『願わくはあなた(神)のインスピレーションを受ける通路(チャンネル)が俗信に捉われず俗物に汚されることなく、彼らをつうじてあなた(神)のメッセージがふんだんに流入して、ますます多くの子らがあなたの真理のイルミメーションの中へ導かれんことを』※数人から十数人の人間が一部屋に集い、霊媒といわれる人物を通して霊界の住人である高級霊の言葉を聞く会を言う。20世紀にイギリスにおいて盛んに行われていた。
シルバーバーチの霊訓――スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ8章)スピリチュアリズム普及会版

『世間でいう“成功者”なるかならないかは、どうでもよいことです。この世的な成功によって手にいれたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは、自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じたものに目をつぶることなく、本当の自分自身に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。
シルバーバーチの霊訓――地上人類への最高の福音 3章)(スピリチュアリズム普及会版)

 人生は途切れることなく進んでいくように思われますが、時には一休みすることも必要と思います。何か変だな?あるいは疲れた・・・、と感じたときは休憩することが是非とも必要かと思います。

一休みしながら、ゆっくりすることです。そこで自分の人生を振り返ったり、反省したり、心に沁みる本を手にされて読んでください。「シルバーバーチの霊訓」を手にされてください。あるいは外国旅行なども良いかもしれません。

真面目に最短距離で成功を求めるばかりが人生ではないと私は思います。

ゆっくり、着実にときには遊びを入れて。そう楽しんで生きられたらそれは最高です。しかし、楽しみだけの人生など、ありえませんが。

 人生とは山あり谷ありで、喜びは苦しがあって初めて実感できるものだからです。病気をして初めて健康の有難さ、喜びを知るようになるのです。

そして、ここが大切なところとなりますが、そうした苦しみも辛さも、一人では持ちこたえられない、挫折してしまうことがあるのです。

 もう一つ今社会問題となってきている問題に“孤独死“があります
私は孤独死すべてを悲惨であり、なくすべきとは思いませんが、その多くの事例の背景には頼れる身近な人間が居ない、相談することもなく、ひっそりと一人で人生の幕を下ろしてしまうのです。これはやはり悲しいことです。

マザー・テレサはインドの路上で誰に看取られることもなく、息を引き取ろうとする老人の顔を、手を拭いてさしあげました。かたわらに寄り添い、老人を見送ったのです。これはどんなすぐれた行為にも勝る奇特な行為でありましょう。

そしていまも尚、喜びも悲しみも分かち合うことのできる他人がどうしても必要です。子供時代は親が、成長してからは友人、恋人がというふうに、人生には相棒・伴侶が必要なのです。

心から信頼できる他人です。ここがキーポイントです。

うわべだけの人間関係ではだめなのです。私は今一人暮らしです。やはり私はこの世を卒業するとき、心から信頼できる人に見送ってほしいと切に思います。

 人生には互いに信頼しあえる人が必要であるのは、臨終のときだけの話ではありません、生まれてからずっと必要です。ただ、間違えないでいただきたいのは、“ずっと”の意味です。なにも360日24時間いつも一緒、という意味ではありません。身は遠くにあっても心はいつも一緒、といういことです。

 子供は生まれて2~3歳までは親にべったりですが、それ以降ともなると、母親から離れても不安なく遊びに夢中になれます。それは母親が完全に自分を守ってくれている、という確信があるからです。喧嘩をして、あるいはケガをしても泣いて母親のもとへ駆け戻った来ます。母親は絶対なる信頼、安心の根源です。心理学用語では“安全基地”といいます。

 “生きづらさ“を感じて苦しんでおられるとしても、どうぞ諦めないでください。求める者には何時か必ず天は答えてくださることを信じて、どこかに希望の光はないだろうか、と目を凝らしてみてください。耳をそばだててください。手探りしてみてください。これが私からの切なるお願いです。

 

地上人生

 

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 前回も地上人生について述べてきました。今回はもう少し視点を変えて私の考えるところを述べてみたいと思います。

スビリチュアリズムが教えるところでは、人間は死んでも死なない永遠に生きる、としています。これは肉体を持って生きるということではなく、霊として永遠に生き続けるということであります。そして人間は地上生活で培った人格を携えて霊界での永遠の人生へと出発する事になるのです。
ここで何も準備をしないで未熟なまま霊界へ入ったとするなら、それはそれは惨めなこととなります。地上人生で人間性を豊かに、そして霊性を高めることがとても重要です。そこで、なによりも大切なこととして、霊界が確実に存在するということを理解しなければなりません。そうでないと、いざ死んで霊界に来た時、「私は誰?」「ここはどこ?」状態となり霊界で迷子状態となります。死の自覚も持てません。霊界へ来ても地上で生きているとしか思えず混乱し、どうしたら良いか分からないのです。しかしこうした状態も速いか遅いかの違いはありますが、多くの場合自分の置かれている状況を理解するに至ります。ただ中にはあまりにも無知で霊性が低い場合は地縛霊となって霊界の最下層に何百年も何千年も留まり続ける霊も存在します。

さて、こうした事実を踏まえると、私達は地上人生が何故大事なのかが幾らか理解がいくでしょう。
地上人生は実に人様々で、一律にこうあるべきというものではありません。

何故なら、人間は果たすべく自分の課題を携えて地上へ誕生してくるからです。ある人は地上人生を何の問題もないかに歩む人がいるかと思えば、ある人は常に病気がちで、苦しみの人生となるかもしれません。しかし、他をうらやんだり自分の人生を嘆いたりする必要はありません。それぞれの人生を精いっぱい誠実に歩むことが要請されているからです。私はスピリチュアリズムを知ることで、このことがはっきりと理解することが出来たことを本当に嬉しく、有難く思っています。

今日の人間社会は日本に限らず、世界中どこを見ても自分や自分の家族、自分の会社そして自国が一番大切、という自己中心主義に覆われています。これではいけません。
自分を超えて他のために生きるように方向を転換させなければなりません。いつの時代でも何処の国でも、助けを求めている人、あるいは生き物が存在しています。譬え非力な自分だったとしても某かの手助けが可能でしょう。遠いアフリカやアジアの飢える子供たち、病気や障害のある弱者といわれる人々、雨の日にも身を寄せる所もないホームレスの人など。また残酷な仕打ちの末、殺され人間の食糧とされる動物たち、増えすぎて無慈悲にも殺されてゆくペットたち。助けが必要な存在は数多く存在します。

哀れみ、慈悲の心が必要です。これを愛とも言います。こうした心のあり方は、同時に地球存続の問題につながります。地球温暖化、CO2の排出問題、森林伐採、環境破壊、農薬や化学物質による健康被害、精神性の崩壊。そして今回のコロナウイルスの脅威もです。間違った人間の営みがウイルスの暴走となって表れた、と私は捉えています。
先回のブログにも書きましたように、人類は叡智を結集させてこの禍から脱却しなければなりません。地球人類は己の力で問題を解決しなければなりません。そして大切な私たちの地球を守らなければなりません。ゴミや有害物質を生み出しても地球外へ捨てることもできません。地球はもうゴミで溢れています。ゴミのなかでも最も危惧するものが核廃棄物でしょう。宇宙船から一部のごみを廃棄しているようですがそれをしてはいけないのです。私達の身の周りを見渡してみましょう。ゴミで不潔になってはおりませんか?私という一個人は小宇宙です。地球も私も汚してはいけません。

ここから本題の地上生活中でどのようにしたら、人間として成長できるかについて述べてまいります。

スピリチュアリズムでは①霊主肉従 ②利他愛の実践 ③苦しみへの正しい対処により霊的成長ができると訓えています。

  • 霊主肉従とはなにか?

これは肉欲・物欲に染まらない清らかな生き方です。現代人はあまりにも多くの情報に曝されており、それらに翻弄されています。これでもか!というばかり物質に囲まれ日々暮らしています。ものが多いことで安心していられるのでしょうか・・・。

現代人は己の霊性が深く埋もれてしまって、自分自身が霊的な存在であることに気づけなくなっており、その不足を埋めるがごとくものを求めるように思います。

  • 利他愛の実践は先に述べた他のために生きる、ということになります。

利他の行為は人間だけが対象ではありません、先にも述べましたように、すべての動植物、そして無生物である全ての存在に対してでもあります。

   ●  苦しみへの正しい対処とは

私達は生きてゆくとき、何らかの苦を体験して行きます。病気、倒産、家庭問題、人間関係、災害、などなどがあります。
これに対しどのように立ち向かうか。”病気になった、自分はなんて不幸な星のもとに生まれたことか!”と天を恨む事はよくありません。そうなったのは結果です。原因があっての結果です。これを因果律と言いますね。これまで病気になるような生活をした来たかどうかを反省し、これからの生き方を正してゆくために与えられた試練と受け止めて前向きな生き方に変えてゆくのです。
ただし、これまでの人生を振り返る、原因は何か?と言っても必ずしも今生の人生ばかりではないことを知らねばなりません。過去世にまで原因が遡ることもありうるからです。つまりカルマといい、今生に病気として現れるということもあるということです。過去世については私達はどのような過ちをしてきたかは知ることはできません。しかしながら、結果を見れば凡その見当がつきます。。

今、例えとして病気について述べましたが、人生はまさに苦難の連続ともいえるほど次々に問題が浮上してきます。それらも受けとめ方は一緒となります。やってくる苦難は自分に必要であるために今現れたのですから、不平不満一杯で受けとめるのではなく、むしろ自分にとって有難いものと受け止めてください、というのです。実に難しいことのようですが、これも自分自身を高めるための修行であるともいえるでしょう。
努力なくして、楽をしてでは何ごとをもなしえません。学業でよい成績をとるにも、スポーツで良い成績を修めるにも、それは苦しい努力が必要であるのとなんら変わり在りありません。
永遠の霊界生活のためには、のほほんと地上人生を送っていてはまずいことになるのです。地上人生を有意義におくるようにと、親なる神が準備してくれた地上人生す。

”かわいい子には旅をさせろ”というわけです。地上人生とは、永遠の霊界生活のための準備期間であり、学校で言えば幼稚園か小学校に相当します。この期間に学ぶべき事をしっかり学ばなければ次のステージで困った事になります。前へ進むことが出来なくなってしまいます。永遠の、霊界生活に備えて今、必要な事柄を為してまいりましょう。今回は私がこれまでに学んだこと、経験したことを交えて述べました。なんらかの参考になれば幸いです。

                                 

 

一瞬の地上人生~されど大切な人生

f:id:gsirakaba:20200422161523p:plain地上人生とはいかにあるべきか、について考えます。

一瞬の地上人生ではあるが、大切な地上人生です。ですから、地上人生を真剣に大切に生きなければなりません。地上での出来事に無関心であってはならないのです。今苦しんでいる人に関心を向けなさい、そうして真に苦しんでいる人が問題を自分で解決するように手助けしてあげなさい、ということになると思います。

その人がその苦しみを自身の霊的成長の糧にするように手助けするということであります。ゆえに無暗に何でもかでも、助けるということは避けなければならないということになります。その苦しみがその人自身の霊的成長に必要なことであるなら、なにも手助けはせずに見守ることが必要ということになるのです。その苦しみはその人にとって必要なのです。
なにもせずに見守る、ということは見守る人にとっては辛いこと、苦しいことです。つまり共に苦しみを体験するということなのです。そうした苦しみについてはシルバーバーチも体験したことを述べています。

『時々、私は涙を流すことがあります。救いの手を差し伸べてはいけないことが分かっているからです。それが摂理だからです。その時の私の苦痛は、苦しんでいる本人よりも大きいことを知ってください 』 シルバーバーチの教え(上)P 102

このブログでも少し前に触れましたが、日本スピリチュアル・ヒーラーグループではスピリット・ヒーリングを行っています。そこでのスピリット・ヒーリングの目的を説明している文章の一部を以下に記します。
『"ヒーリング”という名称から人々は、病気治しが「スピリット・ヒーリング」の目的であると思っていますが、本当はそれが目的ではありません。もちろん霊医たちの心は、地上人の苦痛を取り除いてやりたいという愛の思いに満ちていますが、スピリット・ヒーリングの最終目的は、地上人の“霊的救い・魂の癒し”にあるのです。ヒーリングを通して、地上人の「霊的無知」という“魂の病気”を直そうとしているのです。』
この説明は、病気治しが主眼ではないと述べているのです。驚くことに病気は治っても治らなくてもどちらでも良い、というのです。魂の病気を治すことを目的としているというのです。

ここで目を転じて、現代西洋医学を見てみましょう。ここでは、病気を治すことはできておりません。驚かれるでしょうが本当のことなのです。
高血圧症や糖尿病という国民病ともいえる病気について、医師は薬を飲み続けてください、と言います。治りましたから薬は止めましょう、とはほとんどなりません。これは病気を治したことにはなりません。

現代西洋医学では、病気を治すことができないのです。かくも無力な状況にあります。病気が治るということは,もう病院へは行かなくても良い状態になることを言います。ただ症状を薬で抑える為に一生病院通いを続けるだけです。ほかの病気でも状況は同じです。風邪が治った、病気が治ったとしにたら、それは病院が、医師が、薬が治したのではなく、患者本人の備えている力が直したのです。その力とは規則正しい生活、すなわち適切な休養・運動、そして栄養と正しい心の持ち方などの本人の努力の成果なのです。病気は自分自身が治しているのです。

 発展途上国の多くの人々が貧困で飢餓に苦しんでいます。そこで食べ物を与えたとします。それはそれで、その時の命は救われます。しかし、それは一時の解決策であり真の問題解決にはなりえません。
一時的救済と同時に、再び飢えに瀕することから脱却する手助けをしなければならないのです。それはどのようにすれば良いのでしょうか?
貧困・格差、あるいは戦争・紛争はどうして生じるのか、これを明らかにしなければなりません。これらは個人が、国家が、“己が第一”という利己主義から脱却することで解決します。世界同胞みな兄弟であることに気づくことです。
自分や自分に与する者のみを大切にすることから脱却するのです。実に簡単な事なのです。それを人間は難しいことにしてしまいます。ただ欲張らなければよいのです。お金がそんなに大切ですか?物もそんなに沢山必要ですか?地位、名声、権力を欲しがることを卒業することです。
お金も物も、それらはべて一時的な意味でしかありません。人間は死後も生き続ける永遠の存在であるからには、そうした一時的な目に見える物に執着することで大切な地上人生を費やすことは無意味なことなのです。地上人生は永遠に続く霊界生活のための準備期間ですから、もっと大切なことに意識を向けてまいりたいものです。未熟者である自分ですが、そのことをいつも思い出すように気を付けています。

21世紀の現在、「霊的真理」がすでに高級霊界からこの地上世界に降ろされています。指針は示されているのです。本来ならば人類はその指針に沿った、摂理に一致した生き方をするべきなのです。しかし、すでに述べたように地上は悲惨な状況が展開されています。
悲しいことに、私達の地球にはまだまだ識字率の低い地域が数多く存在します。2015年、読み書きのできない大人は約7億8100万人という報告があります。また、その日の食糧にも事欠く人たちは2018年、8億2100万人(国連による報告)とあります。身を横たえる家もなく路上や野外で夜を過ごす人たち、劣悪な衛生状態の中で死んでゆく人々。これらの人々には霊的な成長を説いている暇はないのです。指針を指し示しても、そうした歩みがまるでできないのです。恩恵に与ることができないのです。今すぐに活用できる具体的な支援が必要なのです。高次の真理を示しても、受け付けられないのです。

繰り返します。こうした悲しむべき問題の根本的解決にはどうしたらよいでしょうか。一言で言うなら、世界に巣くう利己主義をなくし、利他愛に生きるようにすればよいのです。真の解決にはそれ以外にはありえません。これがこれまでに私が学んだ真理が教えるところです。
世界が利他愛に生きにるには、5年や10年でできるようなことではなく、何百年もあるいは1000年をも要することになるかもしれません。だからと言って何もせず手をこまねいていてはいけないのです。
こうした地道な具体的、物質的援助だけに終始するのではなく、一歩進んだ人たちに向け、霊的真理の普及を同時に進めることが求められています。具体的な物質的援助はやろうと思えば多くの人たちにも可能です。しかし、霊的真理の普及は先に霊的真理に導かれた者にしかできません。そしてそれがその者の使命でありましょう。

シルバーバーチが60年間、霊界通信を通して語り続けてきた「シルバーバーチの霊訓」は人類に是非とも必要な教えを網羅しています。
地上人の近視眼的視野では得られない、これまでの人類に欠けていた、無視してきた膨大な量の叡智が収められています。まさに人類に与えられた宝といえます。

この度の人類が向き合わされているコロナウイルスという災厄も、まさに大きな試練なのだろうと思われます。是非とも、互いに非難しあうのではなく、助け合って叡智を求めて乗り越え、さらに世界の平和へと転換させてまいりたいと思います。

 

あなたに平和が訪れんことを

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あなたの心は平和の内にあるでしょうか?
これまで、人々は毎日あれこれと忙しく動き回ってきました。

いま、思いもしなかったウイルスの出現により、人類は否応なしに立ち止まされています。
皆、一刻も早くこの災厄が去ってくれることを願っています。私も同じ気持ちです。
しかし、今、人類が大切な事に気付かなければ、苦しみは続くでしょう。いえ、もっと苦しみは増すことでしょう。そして、これは永遠に続く事ではありません。どういう形で終息するかは今はわかりません。しかし、”人間が何故存在しどう生きるべきかは”、必ず理解しなければなりません。それは宿命であります。

今、人々はこの混乱に翻弄されています。些か乱暴に思えるかもしれませんが、この問題より”人間はなぜ存在し、どう生きるべきか”このほうが大問題であり、最も関心を向けなければならない事なのです。本来、全てはそこから始まるのですから。

まさに世の中は”終末の時”の様相を呈しています。人類が悟るべき時なのです。
人類は有史以前から、神を求めてきました。数知れない宗教を興し人々に教えを説いてきましたが、本当の救いには至らず、反って反目を煽り世界を混乱に落とし入れてきました。人々の心に平和をもたらすことはできず、代わりに憎しみ、怒り、そして争いをもたらしたのです。人類はこれ迄、ず~と不幸の内にあったのです。それは、ただただ人類が必要とする普遍的真理を見いだせなかったからにほかなりません。

2000年前にナザレの地にイエスなる人物が現れて愛の神を説きました。人間の在るべき姿を説きました。しかし、当時の人類の未熟さゆえに、彼を十字架に架けてしまいました。その後も歴史は皆様がご存知の通り人類に平和はなく、安らぎはありませんでした。苦しみの長い時を経験してきました。これは、この苦しみは、必然とも言えるでしょう。個人をとっても、人類全体にとっても犯した罪の償いは何処かで何時かはせねばなりません。私達人類は2000年間、償いのために苦しんできました。

時満ちて、今から100年前「シルバーバーチの霊訓」がもたらされました。イギリス人のモーリス・バーバネルという人物を霊媒として、高級霊界から人類に必要な霊的真理が地上に降ろされたのです。人類の途方もない混乱、悲劇は真理を知らない、無知であると言うことに原因があるのです。

真理を知らないと言うことは、自分が如何に生きたら良いのか解らないということになります。目的もなく何をしたら良いかが解らず日々は過ぎて行きます。焦りはあります。虚しさを覚えます。手あたり次第目の前のことをこなして何となく暮らして、気がつけば既に老境にあり、己れの死を意識せざるを得なくなります。眼前には「死」「死んだら全て終わりか」「死後の世界はあるのだろうか」という果てしない疑問が現れます。そしてこれに関して明確な回答はこれまで得られず、諦めてまいりました。これは私自身が辿ってきた歩みでもあります。

私はそれでも求めてきました。若いころから諦めたり、いやでも何かの手応えを探してというあがきの繰り返しでありました。

世の中が、世界が平和であって欲しい、と願っても己自身の内面が平和でなければ一歩が踏み出せないのです。ですから、あなたご自身は今、平和の内にいますか?と問うのですた。だた、完全なる平和は今すぐには得られないでしょう。なぜなら、周りの人達、そうして世界中の誰もが幸せになれていないとしたら、あなたが真の幸せを覚えることはないからです。しかし愛の神の懐に暫しの間抱かれ、深い安らぎと平和の時を持つことは可能でしょう。あなたが心がけ次第で、そうした境地が得られると私は信じています。あなたと周りの方たちに平和と安らぎが訪れますように。

人類に突き付けられた災厄

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 このたびの新型コロナウイルスについて考えてみたいと思います。まずは皆さまが自粛に疲れて居られるのではないかと気がかりです。お見舞い申し上げます。
今はひたすら守るべきことを守り、あとは内省の時を持つことであろうかと思います。

私たちは日ごろ、あれこれと忙しく動きまわって過ごしています。忙しいことで大切な事を考えないようにしているのかも知れません。例えば、必ずやってくる自身の”死”について。
ある人はご自分のスケジュール帳がぎっしりと埋まっていることに寧ろ安心しているかのような方もおられます。本当にそれが必要なのですか?と問いたくなるようなことも含めてです。

 人類の歴史は数々の災厄に見舞われて来ました。戦禍であったり、今回のような伝染病であったり、または干ばつや内戦による飢餓、そして震災、洪水などなどです。
天災、あるいは人災といわれるものですが、譬え天災だとしても、人類の英知を結集するなら小規模に留めたり、未然に防ぐことが可能なるものもあるでしょう。

例えば、洪水を例に取ってみましょう。川の上流の森林をむやみに伐採したりしなければ防げたかも知れません。
今回のコロナウイルスはどこからやって来たのかは色々憶測がなされていますが、たとえばコウモリやセンザンコウがもたらしたとするならば、彼らを食用にしたり、実験に用いたりせずに、自然界で人間と共生するならば、問題は生じないでしょう。もし、生物兵器だとしたら、これは人類の傲慢さ、利己主義がもたらす人災と言えるでしょう。
いずれにしろ、人間は己の未熟さ、愚かさゆえに自分自身を破滅に導いているのです。

 人間とはいかなる存在で、いかに生きるべきなのか。これらについてシルバーバーチは1918年から、60年にわたってイギリスのモーリス・バーバネルという人物を霊媒として霊界から通信を送ってきました。

人間とは肉体だけの存在ではないのです。精神、そして霊からなる存在であることが、現代人の多くは理解していません。
肉体は物質です。そして物質はときが来れば分解し土に還ります。 しかし霊は永遠に生き続けるのです。私たち人間は死んでも死なないのです。そんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが、どうぞ今こそ『シルバーバーチの霊訓』をじっくりお読みくださいませ。

今、さまざまな活動の自粛が要請されています。これをチャンスと捉えて、見えない世界、霊的な分野にチャレンジしてみてください。

きっと人間をそして世界、宇宙を広く、深く俯瞰してご覧になれることでしょう。

災いをご自分にとっての好機とされますよう、希望いたします。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/

ガーデニング

「災い転じて福となす」という言葉があります。今、私たちは未曽有の災厄に見舞われています。一切の物質的価値観から目を転じる時がやって来たのでしょう。物も、そして人の命でさえもそれのみを追い求めてはならないことに気づかなければなりません。これまでの価値観ではもはや人類は生き延びていくことは出来ないのです。

私の趣味はガーデニングです。北海道の春は遅いのですが、それ故にやっと巡ってきた春はこころ浮き立つ思いです。3月も終わり庭の雪がすっかり溶けてなくなりました。 

       クリスマスローズ:ヘレボルス・ニゲル 真っ白の花を雪の中から一番に顔を見せてくれるのは、クリスマス・ローズの原種ニゲルです。これはドイツ・オーストリアの山中に自生する清楚な花です。それらの地ではクリスマスのころに咲き出すので、そのような名前になったようです。
私の庭でも雪の中から咲き出しました。沢山ある我が家のクリスマス・ローズのなかで一番好きな花です。昨年株分けして、今二株咲いています。他のクリスマス・ローズはもう少し後に咲出します。 同時期に咲くのがクロッカスですね。   

                 クロッカス - Wikipedia 黄、紫、白があります。

それから少ししてチューリップが咲きます。これは色々の種類を植えています。サーモンピンクの大、紫罹ったピンクの中、オレンジの小、 黄色の極小などです。
5月のゴールデン・ウイーク頃に、ようやく桜が咲き始めます。桜は白と八重のピンクが在ります。 6月にはバラが咲きます。バラは全部で7本あります。 昨年までは赤のつるバラがありましたが、四方へ蔓が伸び、私の手に負えなくなり、残念ながら処分いたしました。長年慈しんできたバラでとても躊躇しましたが仕方がありません。
狭いマンションの庭です。それなのに40年間で100類ぐらいの植栽になってしまいました。少しづつ整理しなければなりません。 

今年の冬中、ベランダの手すりにエサ皿を設置してシジュウガラ たじみ百景/多治見の野鳥ヤマガラ階の窓の外にヒマワリの種を置いて ... にエサやりをしました。シジュウガラ、ヤマガラ、コガラ、鶯と4種類が来てくれて楽しいですね。写真はヤマガラです。

それから、我が家には猫が居ます。名前は「たまごろう」白黒の八割れでもと野良ネコです。野良なのに初めて会った時、「あなたの家の子になる」と訴えてきました。 そして15年になります。最高にかわいいですね。癒されています。

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これでお分かりかも知れませんが、私は動植物全般、生き物が大好きです。 こうした性格傾向は幼い時に暮らした山奥での生活が原体験となっているのだと思います。そしてそれ故とは言えないのかも知れませんが、人間相手はどちらかというならば苦手でした。過去形で書きましたが、実は未だその傾向で苦労しています。  

桜やバラはまた何時かアップしますね。      

認知症について~その②

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生物としての人間はいずれ肉体の死を迎えます。
「ピンピンコロリ」ということにあこがれる人は沢山います。しかし、それは心筋梗塞脳梗塞、そして戦死、事死故、自死でしかありえません。
本来の死に方は老衰であると言われています。
老衰で死ぬ場合、どのような経過をたどるのかを簡単に説明します。

これといった病気もなく、段々と食が細くなります。これは生理学的には老化することにより、人体の組織、器官、細胞の機能が低化、代謝が低くなり食物を必要としなくなるからです。また霊的には次のように考えられるでしょう。。即ち、霊界へ還るときが来ると、霊は肉体とお別れしなければなりません。ですから人間は食物を摂らなくなります。この時点ではまだ意識はしっかりしています。食が細くなったからと言って、無理やり介護者が食べ物を口に放り込むことをしてはいけません。本人が食べたい時に食べたいだけを食します。
そしてやがて何も食べなくなり、水だけになります。当然体重は落ちとても痩せてしまいます。それで良いのです。当然点滴などもしません。このころには意識はもうろうとしてきます。そしてやがて眠るように息を引き取ります。遺体はすっきりと軽く、本当に楽になったことが解り、周りの者たちも安堵します。

これに対して、食べなくなったからと言って病院に入院させるとどのようなことになるでしょうか?まず、経管栄養か大量の点滴を行います。経管栄養とは少し前までは鼻からチューブを挿入し流動物を流し込むやりかたが主流でしたが、今は外から胃に穴を開けて栄養補給をする胃瘻に変わっています。
チューブは栄養チューブの他、点滴チューブ、尿管カテーテル、酸素吸入チューブ、心拍数と血液中の酸素濃度を測るパルスオキシメーターなどが付けられます。場合によっては動脈ライン、気管内挿管チューブなども加わります。これを俗にスパゲッティ症候群と呼んでいます。
そして代謝が落ちているため当然排泄されない水分で、肺を始め全身水ぶくれの状態で苦しんで死を迎えます。溺死です。

介護療養型医療施設(いわゆる老人病院)ではまともには注視できない光景が展開しています。6人の高齢者が薄暗い部屋で臥床しています。丁度昼食時間であり、彼らの側には点滴ポールにぶら下っている流動食の袋が見えます。そこから経管栄養剤が胃ろうから注入されています。誰一人声を挙げたり、身動きをしたりしません。何故なら、彼らはもう殆ど意識がないからです。ただ、意識もないまま肉体を生かされ続けているのです。こうした部屋が廊下に沿ってずーと幾つも並んでいます。実際に私が目撃した光景です。
 強制栄養により10年も意識がないまま、生かされるという社会問題、人権問題が発生しているのです。
当然こうした医療の在り方に疑問の声を上げる人達が現れてきています。ではどうして未だこれへの解決手段が講じられないのでしょうか。
一つには医療を行う側、医師たちが人命第一主義に凝り固まっている、対象が誰であれ、どんな手段を講じても少しでも長生きをさせるのが自分の使命であるという信念です。
例えば事故の場合、救命を第一とするのは当然理解できます。そうすべきでありましょう。しかし、病が進行しもはや死期が近い場合、あるいは老化が進展し自分で食事を受け付けなくなった時は、自然の流れにまかせるのが妥当でありましょう。それが出来ないのは唯物的思考に囚われている人間の限界なのでしょう。

そうしてとても大切なことは、譬え医師に「あなたのお母さまは口から食べることは誤嚥の危険がありますから、胃ろうを創りそこから栄養物を与えるという方法が適切と思いますが、どうしますか?」と問われた場合です。 
よく考えずに、「そうですか、それではお願いします。」と答えれば、あなたのお母さまは10年間も胃ろうからの栄養補給でそのまま生き続ける、ということもあるのです。お母さまはそれを望んでいたのでしょうか?そしてあなたご自身はそうした生き方を望んでおられますか?
元気なうちに本人の意思確認をしていおくとが大切な理由はこうした事態を避けるためにも絶対に必要なのです。ちなみに私は日本尊厳死協会に入会しています。自分の意志を文章にしております。(living will―終末期医療における事前指示書)
無駄な延命は摂理に反すると思われます。地上に生まれ、そこでの使命、仕事を果たしたら安心して次の生に移るのです。あくまでもそれが自然であり、人間だけではなく生きとし生けるもの全ての在り方と思います。

ここまで、認知症に限らず死に瀕した者の在り方について述べてきましたが、ここからは認知症に関してです。認知症は高齢化した現代人には避けて通れない問題です。
アルツハイマー型は全認知症のうち約60%を占めています。認知症になることは誰もが望んではいないのにも関わらず、多くの人が発症しています。本当に避けることはできないのでしょうか?多くの人が認知症になるといっても、全ての人ということではないことに注目しましょう。
避けることも可能である、ということです。つまり予防です。何の手立てもせずに漫然とこれまでの生活態度を続けてはならないのです。アルツハイマー病の脳に見られるβアミロイドは病気が発症する25年も前から蓄積が始まっているのです。ですから、予防は早いほうが断然良いのす。中年期のあなた、そしてお若い方も、今すぐにご自分の生活を見直されることを強くお勧します。
今、解っている予防あるいは対策を挙げてみます。
生活習慣病(糖尿病、脳および心血管障害、高脂血症、高血圧)を予防、治療をする
・食事を見直す(魚を食べる、動物性脂肪を減らす、抗酸化物質を含むのもを食べる)
・運動をする(有酸素運動など)
・達成感を味わう(趣味など)
・他の人と交流する、共同作業をする(ボランティアなど)
他に教育歴や環境(ストレス)が関係するとも云われています。
教育歴については次のような見解があります。 生来の知能、受けた教育、職業の質によって造られる何かが、アルツハイマー病の病理に対する抵抗力になるのではないか、というものす。これに関連して言えることとしては、「頭を良く使う」事の大切さが挙げられています。
ストレスについては豊かな環境(マウスの実験で回し車で自由に遊ばせる)では神経細胞の新生が盛んに行われた、と報告されています。

結論として言えることは、アルツハイマー病にならない生活習慣とはつまり、昔から健康的な生活として奨励されてきたものなのです。
欧米化された食事、美食は健康の大敵です。
ホリスティック健康学・栄養研究所では生活習慣病を引き起こす原因となる”欧米食”を見直し、食生活を根本的に改善することの必要性を訴えています。詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

次に認知症の主な症状と基本的な対応について少し述べます。
初めは記憶障害、見当識障害です。いわゆる物忘れです。それから妄想、徘徊、不安、焦燥、うつ状態、せん妄、さらに失行(衣服の着脱、リモコン操作、お金の払い方、トイレの使い方が解らなくなる)、暴力行為、さらに進行すると、歩行、食事、排泄などの基本的能力、言語が失われて殆ど会話がなくなります。最終的に寝たきりとなります。

治療は根本的な治療法は現段階ではありません。
・抗認知症薬としてアリセプトなどがありますが、進行をゆるやかにするだけ
睡眠障害に対して睡眠薬
・不安を抑えるための精神安定剤、という状況です。

 次は基本的対応です。
・どうしてそのような行動をしたのかを考える
・自尊心が保てれるように対応する
・「できないこと」を責めず、「出来ること」に注目して引き出す
・役割を奪わない
・一人の人間として対等に接する
以上、まとまりに欠けるようですが、認知症について述べさせていただきました。
皆さまがより良い人生を送ることが出来ることを祈念してこの項を閉じます。

 参考文献
 「アルツハイマー病にならない」 井原康夫 / 荒井啓行著 朝日新聞社刊 2007.08  
 「スマート・エイジングー人生100年時代を生き抜く10の秘訣」 村田裕之著 徳間書店 2019.02