一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

霊界の良き道具について

           
 イエスが2021年4月に地上再臨しました。

 イエスは2000年前に地上で伝道を開始した時、弟子達を見つけ出し共に歩み始めました。それと同じく、私達スピリチュアリストはイエスの地上での弟子となったのです。そこで私はスピリチュアリズム普及会のニューズレター第4号(1999.01.01)を取り出し、学び直しました。
 弟子とは師に教えを請い、師の思いを我が思いとし、師の手足となって働く者のことです。弟子とは即ち師の道具といえるのです。では自分は本当に霊界(イエス)の良き道具であるのか?はたまた違っているのか・・・。違っているなら、どう努力すれば良いのか?と考えたからです。
 “自己犠牲”や“道具意識”という言葉は、私達スピリチュアリストは聞きなれた言葉です。それ故というか、当たり前すぎて深く考えずに素通りしていないか?
道具というのは、自分を主張したり、持ち主の意向に逆らい自分流のやり方をしたり、仕事をさぼるなどはしません。持ち主の意向に忠実に従います。もしそうでなく道具が持ち主の意向を無視したり、反逆したなら、それは使い物にならないので捨てられることに成ります。
 自己犠牲・滅私奉公・従順などは少し前の日本人にとっては当たり前の心構えでしたが、欧米化した今日では古臭く、むしろ死語となってしまいました。そして大いに自己主張をします。SNSなどを用いて盛んにそれを繰返し、自分が正しく相手が間違っているなど喚き散らします。自分を振り返るという謙虚さが微塵も見られないのです。
 私たちはスピリチュリズムに導かれたと言っても、そうした社会の汚毒に染まってはいませんでしょうか?彼らと同じことをしていてはならないのです。違って当然なのです。違っていなければなりません。他を批判する前に己自身を振り返り、間違いがあれば正さなければなりません。もはや私たちは地上にあっても地上人ではないのです。

 イエスの地上再臨を受け新時代を迎えました。霊的新時代の到来です。社会にも私たち自身にも大きな変革がもたらされつつあります。古く良くない考えに固執していてはなりません。間違いに気づいたならば一刻も早くそれらを捨て去り、魂の新生を図りましょう。本当に価値ある事とは、個人の主張より、相手への思いやり、全体への奉仕です。
以下に普及会のニューズレター第4号からの抜粋を記載します。
 道具である以上、自分という存在も、自分で自由に決められるものではなくなります。全てを高級霊の導きに委ね預けて、自分であれこれ言わず「自分の全てをあなたに捧げますから、どうか良きようにお使いください。どんな道が示されてもそれに従いますから、どうぞ命令してください」「この世の利益も、名声も、評価も何も求めません。自分は道具としてただ与えることにだけ徹します。高級霊と同じように働けるだけで、役にたてるだけで嬉しいのです。それだけで十分なのです。」とあります。そのために一日の自分が本当に道具意識に基づいていたか、そうではなかったかを反省(内省)しチェックする必要があります。反省もなくやりっぱなしでは成長は望めません。点検すべき項目をニューズレターから拾ってみました。
  自分なりの判断・取り越し苦労・気負い・自分の力に頼る・傲慢ではなかったか
  高級霊にしっかり委ね信頼していたか・他人からの見返りや評価を期待していな
  かったかなどです。
 私達は高級霊を信頼し、委ね、可能な限り精一杯やるだけで良いのです。実績を上げようと思うより、自分をもっともっと純粋な道具とすることが大切なのです。スピリチュリズムの信仰の真髄は道具意識にあります。道具意識を持つことは、謙虚になる最短の道です。自意識にまつわる醜さを根底から払拭するには、道具意識を深める以外にありません。スピリチュアリストに何よりも要求されているものは、知性でもなく、霊的能力でもなく、道具意識に立った本当の謙虚さなのです。とあります。
 ここで注意したいのが、可能な限り精一杯やるだけで良い、というフレーズです。これを自分がやらないことの言い訳に使用するという、“責任放棄”という行為に転換してしまうことが度々見られることです。そうして更に霊界が何とかしてくれる、というこれまた自分の仕事を放棄してしまうことです。真理を悪用して自分の都合の良いように解釈してしまうのです。これは絶対にしてはならない行為です。地上人としてやらねばならない事を蔑ろにしてはなりません。

「霊的真理」を忠実に実践する—これが霊的成長をなす全てであり、「真の救い」なのです。真のスピリチュアリストを目指して自信と勇気を振り絞って前進しましょう。