一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

宗教難民の方へ

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 新年あけましておめでとうございます。

 今年は大変な年明けとなり、沢山の方が悲しみの内に居られることを思うと、やり切れない思いが致します。それでも私達は前を向いて歩んでゆこうではありませんか!

 今日は宗教で苦しむ人達、どちらへ向かえば良いか分からなくなった人達(”宗教難民”とも評されています)にお話しをさせていただきたいと思います。

今、 自分は宗教に関して苦しんでいる、どう対処したら良いのかわからない、しかし、このままではいけない、間違った宗教をこのままにしてはいけない、と勇敢にも声を上げ始めている人達が現れ始めています。

 私は20代の時、統一教会に入信していた者です。現在81歳となりました。

その時、信仰でこの世界を理想世界に出来るという教義に感銘し、入信いたしました。ところが実際は理想世界どころか、地獄を味合うこととなったのです。辛い毎日でした。元々、神とか信仰についてあまり関心がなかったということもあり、教義を学んでもしっくりきませんでした。
 メシアを信じて教義を全うしようとしても、そこには何ら喜びもなく幸せでもありませんでした。信仰仲間とも親密になれず、知れば知るほど不信感が増すという有様でした。ただただ辛い日々でした。

 これから書く内容は過去にこのブログで述べている事と重なりますが、再びここに書かせていただきます。

 夜遅く就寝し、朝5時に起床です。祈祷し、それぞれの任務に就きます。(この睡眠時間の短縮は明晰な頭での思考を遮るための計らいであった) 

 入信間もないころ(日本での布教が始まってそんなに時間が経っていない頃です)の仕事はリヤカーを引て各戸を周り廃品回収をすることでした。そして街頭に立ち大きな声で路傍伝道をします。札幌の繁華街、渋谷・池袋のJR駅前などです。

 次の任務は学生の集団(原理研究会)のホームでの下働きです。炊事・掃除・洗濯です。まるで下女のようです。当時は掃除機もなく洗濯も手洗いでした。若い男子の下着もです。みじめでした。
“聖なる闘いの戦士に対する尊い奉仕“とはとても思うことが出来ず、自分はなんという不信仰ものか、と情けない気持ちで毎日を過ごしました。合間を見て、伝道にでかけます。しかし、情熱を失ったものに何ができるでしょうか・・・。何もなしえませんでした。そうしてさらに惨めさを膨らませて仕舞うのでした。
同じ目的・目標を持って暮らす仲間・同志という意識には到底なれず、いつも不信感を持っていました。
 それから、マイクロバスに寝泊まりしながら花売りをしました。昼間は戸別訪問をして、夜は薄暗い下町の酒場です。狭いマイクロバスのなかでの寝泊まりです。夏は半分裸で疲れ果て泥のように眠ります。ある時運転者のミスで転倒事故を起こし、何人かは病院送りになりました。私もその中の一人でした。
 後に医療ホームというところに配属になり、そこで看護師として働きました。そこで本来の仕事が出来て、落ち着くことが出来たでしょうか・・・。いいえ出来ませんでした。なぜなら、そこでは医療界で守らねばならない医療倫理が堂々と無視されているのです。反社会的行為です。医師法違反を随所で行います。この社会の常識は無視してよいからです。
 何処へ行っても私の心は安らぐことはありませんでした。日時が経って、教祖じきじきでの祝福のためのマッチングの時がやってきました。しかし、そこでも私は決定的な打撃をうけることになりました。それは最後まで名前を呼ばれることなく、終了したのです。つまり私は祝福にも該当しない哀れな者、という烙印を押されたということです。私は絶望でいっぱいとなり、その場で号泣しました。
 この“どうにも救いようのない者”という烙印は私のその後の人生にも多大な影響をもたらしました。教団を去って50年にもなるのに、最近になってもそれがトラウマとなって表出することがあるからです。

 しかし、実はその事件の直後、花売りの仕事に従事しているとき素晴らしい体験をしました。それはひとり寂しく花束を抱え琵琶湖湖畔の公園に佇んでいると、急に空を含めて辺り一面が光輝いて見えたのです。驚きました!これは一体どういう事?!
 後でその訳がわかりました、と云うか悟りました。つまり教祖の祝福という誤った概念で足枷を嵌められたら、それは教祖の奴隷になることを意味します。それを免れたことを、守護霊や霊界の人達がこぞって祝ってくれたのです。もし、あの時、祝福をうけていれば私の人生はどうなっていたでしょうか・・・。想像するだけでも恐ろしいことです。あの時、霊界が喜んでくれたのです!
その時のことは今でも鮮明に覚えています。

 あなたは、「スピリチュアリズム」という言葉をご存じでしょうか。
私は23歳で統一教会に入信し、32歳で脱会しました。足掛け10年を苦しみながら、留まってしまいました。どうしてそんなに長い間、留まっていたのか不思議に思われる方もいますが、それは脱会したら神様を裏切ることとなり、永遠の地獄が待っている、という洗脳です。教義に確信が持てなくとも、洗脳は行われていたのです。
一気に教団を去るのではなく、時間をかけて考え、準備してから実行に移しました。教団を去る事=神様を裏切ることではない、と確信できたからです。

 幸いにも私は看護師としての資格がありましたから、それを利用しました。ホームからパートで病院に勤務し、それから本採用にしてもらい、看護婦寮に移り住みました。それでも元の仲間が付きまとうので、東京から地元札幌に勤務先を移しました。逃げました。
 「スピリチュアリズム」は「地球人類救済運動」であります。
人類には救いが必要です。そのために幾多の宗教が起こされて来ました。しかし、一つとして人類を真の救いに導くものは存在しませんでした。それは人類が霊的無知に陥ったてしまっているからです。宗教自体が無知なのです。

人間は何の為に生まれてくるのか
人間は如何生きなければならないのか
死後の世界は存在するのか、在るとすればそこはどんな所か
死んだらどうなるのか
神は存在するのか、神と人間の関係とは如何なるものか
なぜ地球上に悲劇が絶えないのか
なぜ今日まで解決できないのか
そもそも宗教とは何か

スピリチュアリズム」「シルバーバーチの霊訓」はこうした謎の全てに明確な回答を与えてくれています。
約100年前から、イギリスでモーリス・バーバネルという霊媒を通して「シルバーバーチの霊訓」が霊界から降ろされています。シルバーバーチとは仮名で、霊界における霊です。3000年前に地上で暮らしたことのある人物で、現在は超高級霊に成長しています。
 私は32歳で脱会してからは宗教アレルギーとなり、宗教に近づくことを避けてきました。しかし、精神世界への関心は薄らぐことはなく、関連する分野を遍歴してきました。大学へ入学し“人間”について学び、ユング心理学をベースとしたカウンセリングや夢分析精神分析アートセラピー、ドリームセラピー、さらに瞑想や断食、レイキやヨーガ療法を学びました。それぞれ民間資格ではありますが資格を取るまで追求しました。ヨーガ療法は仕事として従事しましたが、結局は心のそこから魂に響くものはひとつもありませんでした。追究すればするほど限界を感じてしまいました。

そんな時に出会ったのが「シルバーバーチの霊訓」です。今は絶版になっている、潮文社出版の「シルバーバーチの霊訓」全12巻を読みました。

そこにはこれまで私が知りたいと思っていた事が全て網羅されていたのです。驚き感動に咽びました。それからの私の人生は一変しました。
私はこのことを皆さまにお伝えしたいのです。宗教に苦しんで居られる方に知って頂きたい、そう思い書かせて頂きました。

今、政界・有識者が被害に遭われた方、そして宗教2世の方々の救済に取りかかり始めました。それと共に間違った宗教そのものを無くす闘いも必要と思います。
そのために何らかの働きが出来るなら本望です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
皆様のこれからが幸多い日々となります様祈らせて頂きます。