一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

霊的視野から観た回顧録

         

 これまでも、自身の人生を振り返った記事をブログにアップしてきました。今回は少し趣を変えてみます。 霊的視野から自分自身の人生を観るという試みです。80歳を迎えて、この地上ではできることは殆どありません。しかし、同志の闘いの後方支援という仕事なら少しは出来ます。そうして、改めて自分自身の人生を霊的視野で整理してみようと思うに至ったという次第です。

  スピリチュアリズムとは「霊界主導の地球人類救済計画」であります。霊界主導とあります。イエスを中心とした大霊団が結成されていて、一糸乱れぬ計画に基づき精力的に霊界人たちが働いています。更に、地上での仕事をするための人材が必要となります。2000年前にイエスが12弟子を選ばれたように、この地上での仕事を担当出来る人材を早くから見定め・指導してこられたのです。そのことを私達地上人はなかなか知ることができません。どうしても地上的な視野からしか物事をみることが出来ないのです。しかし、霊界は間違いなくそのように動いてきました。
 霊界はまず霊界と親和性のある人物を探し出します。ある時にはその人物が生まれる前から、その人物に白羽の矢をたてて、導き・指導を開始します。シルバーバーチの交霊会で霊媒を務めたモーリス・バーバネルがそうでした。本人が好む・好まざるに関係なく、また意識しないうちに、さまざまな手段を用いて導き・訓練が成されていきます。
 では、自分は何故スピリチュアリズムに出会ったのか?
それをここで振り返ってみようと思います。 私は十数年前にヨーガ教室で講師の持っていた「シルバーバーチの霊訓」を眼にし、すぐにそれを借りて読みました。12巻全てを読み干すまでそれほど時間は必要ありませんでした。何しろ乾いたスポンジが水を吸うがごとく全てに納得でき、アッという間で読破したのです。其れからの人生は寝ても覚めてもスピリチュリズム、というように変貌してしまったのです。
  次に、ではなぜヨーガ教室に通うようになったのか?
事の始まりは、新聞広告で「アーユルヴェーダ」(ご存じの方も多いとは思いますが、インドの伝統的医学であり、かの地では保険適応となっています)の講演会の案内を目にし参加しました。そこの受付に置いてあった「ヨーガ教室へのお誘い」のチラシに惹かれたというのが成り行きでした。
  私は長年医療者として生きてきましたが、アーユルヴェーダは現代西洋医学のさまざまな問題点にたいして、何らかの回答を与えてくれるのでなかろうか、という期待からでした。
  私は高校を卒業する少し前に、ある“啓示”を受け取りました。それは “おまえは修道院へ行け”というものでした。え!?何故私が?と思いました。教会に行ったこともなければ、聖書を読んだこともありませんでした。どうすれば良いのか皆目解りませんでした。そこでふと看護学校へ行こう、と思いました。深く考えもせず、何となく同じような所という単純な考えからでした。果たしてそこは全寮制の学校で、日本赤十字社が設立母体であり、戦後15年ばかりしか経っていない頃でしたので、規律はしっかりと保たてれており、先輩後輩の関係は厳しいものでありました。そして有事には戦地へ赴くことが義務化されていました。
 毎日の朝礼時には「ナイチンゲール誓詞」なるものを全員で斉唱します。
それは次のような言葉から始まります。「我はここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん・・・」というものであります。このように知らぬ間に毎日神様の前に立っていたのです。何も知らない者に、神の存在や信仰心、道徳観念などを教えようと霊界は導いてきたのであろうと今は解ります。
  神を崇敬する、全体に奉仕する(看護職というのは病める人々に奉仕することを天命とするとされていた)という、きわめて崇高な精神を育んでくれる所でした。何も知らない真っ更な精神にはすんなりと浸透していきました。そこでは人生で最も大切な事柄の一つを教えて頂いたと思います。修道院ではありませんでしたが、その精神はまさに神に至る道を指し示して居るように思います。霊界が“修道院”と言ったのは、じつは修道院のような所、という意味のことだったのかと思います。霊界がある目的のために計画的に私を導いて来られて故であろうと確信しています。私は幼いころから、誰に教わったわけでもありませんが、霊界や神様の存在は当然のことと認識していたように思います
  2歳の時、先の世界大戦の災禍から逃れて、東京から北海道に越してきました。何もない原野を開墾して住居や畑を作りました。住居といっても、地面に熊笹を直接差し込み、また屋根は同じく笹で覆い、床は土の上に筵を敷いての生活です。そこで家族6人が暫く暮らしました。雪が積もる前に土地の所有者の方が床のある家を建ててください ました。 畑を開墾するとは、まず原野に生い立つ木を切り倒します。其れから前年に切り倒しておいた、根株を堀り起こします。父と二人スコップで満身の力を込めての仕事です。そうして初めて土を耕し、種を撒くことが出来るのです。まだ小さい女の子ですから、何ほどの仕事も出来ませんが、私は何故か父とのそのような仕事をすることがはとても嬉しかった記憶があります。
  学校に行くようになってからは、毎日が“いじめ“の日々でしたが、自然豊かな中での暮らしはとても楽しいものでした。山野を掛け回り、珍しい草木を発見して喜び、ターザンごっこをしたり、裏を流れる川で魚を取ったり、ザリガニを取ったり、飼い猫とじゃれ合って遊ぶことも大きな喜びの一つでした。春、野に行くと黄にピンク、白の草花が当たり一面に咲き乱れているのを見るのは本当に素晴らしいことです。冬、真っ白な雪の原野に寝転び、真っ青な空を眺めることも子供心にも至福の時でした。そうした大自然の中で私はこの宇宙の偉大さ・素晴らしさを体感することが出来たのです。
  私は友達が出来ませんでした。親や兄弟はいましたが、一部父との良い思い出はあるものの、親密な関係を築くことにはならなかったように思います。たとえば、“いじめ“についても決して親には言いませんでした。勿論教師にもです。そうやって耐えてきたというのは本当です。成長してからも所謂孤独な人生でした。表面的には付き合いはあっても、親友が居ませんでしたし、恋愛や結婚という話もありませんでした。
  23歳の時、今日悪名高い統一教会に入信し、約年10年間をそこで過ごしました。これに関しては、過去にこのブログで紹介ましたので、ここでは述べません。
  今、こうして人生を振り返ると全て霊界側が、計画的に段階を踏んでの導きであったことが解ります。霊界側の深淵なる計らいであり、決して偶然ではなく必要があってのことだったのです。
 私がスピリチュアリズム、「イエスが主導する地球人類救済運動」に出会うためには、こうした霊界側の計画、配慮があったことが明らかなのです。即ち、幼少のころ大戦の惨禍からの逃亡や、北海道での大自然の中での神・宇宙と一体になるような体験をさせて頂きました。
  自然を愛する、生き物を慈しむ、猫と友達になるということは、自然界と人間が完全な姿で生きるための秘訣でありましょう。弱者を支えるべき医学の道へと進む事は必然であったように思います。それなのに、これまで私はそうした人生を送って来た自分を“未熟”の一言で己を評価し、自己嫌悪という縛りの中に自分自身を閉じ込めてきました。しかし、実はそうではなく人と表面的に仲良くすることよりも、神とその被造物を大切にする心を養わんがためであったと理解します。私はこれまで、自分の人生を霊の視点で観ることが出来ていませんでした。しかし、今こうして振り返って見ることが出来ました。実はスピリチュリズム普及会インフォメーショ47号(地上再臨に向けた、イエスの二千年にわたる準備のプロセス)を拝読させていただくことで、こうした回顧録を書こうと思い立った次第であります。改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございます。