一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

心霊治療

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心霊治療とはどのようなものでしょうか?

 現代西洋医学とは別の医学を総称して代替医療と呼ばれているものがあります。それは実に沢山あり、そのうちの一つが「スピリチュアル・ヒーリグ」 です。これは霊的な力・エネルギーといった目には見えない力を用いた神秘的ともいえる療法です。

これは太古の昔より行われてきており、且つ今でも世界中の至る所で行なわれているものです。
心霊治療を希望する人の多くは、それまでいくつもの医療機関やヒーラーを訪れ治療を受けて来たにも関わらず、一向に病状が好転しないため将来に全く希望を見失っていた人たちです。つまり藁にも縋る思いで心霊治療家を訪れるのです。

私は昨年の11月に公開スピリット・ヒーリングを受けました。公開ヒーリングとは、大勢(今回は30人)の人の前で直接ヒーラーによりヒーリングを受けるというものです。「日本スピリチュアル・ヒーラーグループ」なる存在はずっと前から知っていて、いつか受けたいと思い続けてきましたが決心がつきませんでした。

10月に肺がんが見つかり、放射線治療を受けました。そんな折、霊界は私に「今こそスピリット・ヒーリングを受けなさい」」とその道のりを整えて下さり、すんなりと札幌から横浜へ赴き受けることが出来ました。私はなんの準備も、働きかけもしないのにです。勿論ここには地上の幾人かの人間の働きがあったということは言うまでもないことですが。霊界は本当に私に必要なことを、きちんと時期を見て導いてくださる、ということを実感しました。 

以下にその時の感想文を載せます。

 直接ヒーリングが始まり、私の番はまだでしたが、涙が止まらなくなりました。霊界の高級霊達がこう言っているように感じられました。「あなたはもう安らいでいいのですよ。安らいでください」と。私はずっと自分を奮い立たせるべく激励をしてきました。正直、体もボロボロで、すっかり疲れてしまっていました。そんな私を、霊界はあらゆる手段を駆使して公開ヒーリングの場に参加させてくださいました。ただただ感謝と喜びです。とても勇気をいただきました。神と高級霊達のあふれるばかりの愛を感じることができました。これから、どのくらいの時間を地上で送ることになるかは、自身としては知ることはできません。でも、私は喜びのうちに生きることができます。ありがとうございました。

  公開ヒーリングの会場に着いて直ぐに、お招き下さいましたヒーラーさんにお会いしました。その時、彼女はこうおっしゃいました。「お元気そうで本当に嬉しいです」と。そうでしょう、私はとても元気に喜びをもってこの場へやって来たのですから。
実際にヒーリングを受ける前に、既に横浜への道中に於いて霊界から力を頂いて来つつあったようです。

 実は肺がんを指摘される2年前に、上顎洞腫瘍であれこれ大変な思いをしてようやく手術も終えほっとしておりました。そうした時にさらにがんの告知です。十数年前にも2度にわたり乳がんを患っていましたから、又か!という想いでした。自分は一体いつになったら“病というカルマ”をきることができるのだろうか・・・、もうこれで地上生活を終いにしよう、と絶望感に襲われていたのです。

しかし、今回は少し気持ちを切り替えることが出来ました。同志が「生きてください」と言ってくださったのです。地上にも私に生きていてほしいという人間が存在するという喜びを得ました。そしてこれは霊界が私にもう少し地上での仕事がある、ということを示していると理解しました。

私は現代西洋医学に携わってきており、そこでの矛盾を多々見てきたことで現代医療に疑問を抱いていました。自分が病気になっても直にそこでの治療を受け入れられないで来ました。
ですが、こうした現代医療にもただ抵抗するのでなく、譬え望まざる副作用があっても必要なら甘んじて受け入れようと思えたのです。抵抗し身構えてがちがちになっていた気持ちがふっと楽になったことが解りました。

こうした状況でヒーリングに臨むことが出来ました。閉じていた「魂の窓」が幾分開いたのではないでしょうか。

では治療効果は如何に?と気になるところではありますが、スピリット・ヒーリングを受けてまだ3か月しか経過していません。また現代西洋医学の誇る最新の定位放射線治療をも受けていますので、今の時点で効果をどうのこうのと判定することは出来ません。もっとも私の場合、肺にがんが見つかったからと言っても何ら自覚症状はありませんでした。症状としては十年来の心不全の症状である息苦しさが主でした。従って肉体的にはヒーリング前と今との差は殆ど感じられません。 

スピリット・ヒーリングでは、しばしば奇跡的な治癒が実現します。また、肉体レベルに症状の変化は見られない場合でも、霊の一部・心の一部・霊体の一部が治癒されていることが多いのです。肉体次元にまで治癒が表れるかどうかは、患者サイドの条件によって決まります。このことから私自身は譬え肉体的次元の変化は現れないとしても、心の深い次元で何らかの変化があったと実感しています。それは上に挙げた感想文からも証明し得ると思います。

ところで、この文章の中で「スピリチュアル・ヒーリグ」と「スピリット・ヒーリング」という少し違った言葉を使っていますが、「スピリチュアル・ヒーリグ」が「心霊治療」ということになります。この二つの言葉は似ていて非なるものです。

スピリット・ヒーリングでは肉体の治癒だけではなく、魂の覚醒という重大な目的が存在します。このことにもう少し触れたいところですが、私の拙い文章ではなく、日本スピリチュアル・ヒーラーグループhttps://spiritualhealing-volunteer.jp/ではとても詳しく、且つこれまでの訓え、書籍にても解明されてこなかった膨大な内容を公開しています。関心のある方は是非そちらをご覧になって下さい。学び、そしてご自身の魂の成長を目指してくださるなら嬉しく思います。

 

 

8050問題を考える

私の小学生時代は、一学年8人という山奥の学校でした。そこにはたった一人の男子生徒がいました。彼は毎日1時間かけてさらに山奥から通学していました。

ものすごく遅刻してです。そして教室に入ることなく、ず~と校庭で一人遊んでいました。先生も彼に教室へ入るようには強要しません。そうして一しきり遊んで、早めに下校します。そんな彼はその後どうなったでしょうか?

人伝えに聞いたところ、その地域では立派な一人前の青年になり指導的な立場に居るということでした。

今では落ちこぼれと言いますが、彼は引きこもったりはしませんでした。もっともその頃はどんな時代かというなら、戦後間もない頃でどの人も皆生きることに精一杯でした。引きこもったりしている時代ではありませんでした。
 前置きが少々長くなりました。

今、8050問題が浮上しています。
80歳の親が50歳の引きこもりの子供の世話をするという深刻な問題です。
2019年3月29日の内閣府による調査では40歳~60歳の引きこもりが61万3000人にのぼるというのです。彼らは就業経験があり途中で何かに躓いて引きこもったケースと、中学生、15歳ごろから引きこもり現在その年齢になったという者もいます。

そのうち気づいて立ち直ってくれるだろう、と楽観的な親もいたかも知れませんが、多くの場合なにもせずに居たということではないはずです。親や周りの人間は善かれと思うことはしてきたはずです。それなのに問題は実に深刻です。親が亡くなったら彼らは生きて行けません。

引きこもりは個人や家族に要因や責任があるのではなく、「社会構造の歪み」と捉える識者もいます。

すなわち、社会には問題を個人の責任としたり身内の者もこうした子供を持って世間に対して恥ずかしい、と行政や周りの人に相談をせず隠そうとする風潮があると言います。

ドイツでは「引きこもる子供」という話は聞いたことがない、とある文献に見ました。

この国では成人が18歳であり、子供たちは早く自立したいという考え方をするそうです。

成人してからの引きこもりに見られる傾向として、職場でよく叱られる、真面目である、残業が多い、人間関係を上手くを作れない、などがあります。

一頃よく耳にした言葉に「勝ち組、負け組」がありました。親たちは自分の子供は何としても勝ち組にしなければならないと、幼稚園の頃から習い事や学習塾へ通わせ、良い中学・高校・大学へと進学させ、良い企業に就職させる、という流れになんとしてでも乗せようとする。物質的価値観一色に染められていました。

そこから落ちこぼれたと感じた子供たち、そうした親や価値観に絶望した子供たちは、それらに抵抗することはできても、では次にどうしたら良いかが解りません。できることは「引き込もり」でした。

なかには生まれながらの障害のケースや、虐待や放任などの生育過程で適切な処遇(上記の落ちこぼれたと感じ、絶望した子供の心のケアを含め)をされなかった子供も多かったであろうと推察されます。

農水省次官が、かって同僚に語ったという言葉がネット上に紹介されていました。
「子供は上手く育たないものだよ」と。

現在の日本社会は物質的価値観から自由になれる人は希有な存在と言えるでしょう。みな多かれ少なかれ、この物質的価値観に絡めとられています。スピリチュアリズム普及会では  霊性教育」について言及しています。人間は魂を成長させるためにこの物質界に生まれてきました。霊的成長の指針となるのが「霊的真理」です。霊的真理に沿った生き方をすることが地上人生の目的です。 そして「霊性教育」とはスピリチュアリズムが教える育児・教育の事です。

現時点では、まだまだこうした霊的真理が社会に認知されていません。人間はどの様に生きるべきか、生まれてきた理由は何か、こうしたことが解っていないのです。

正に暗闇の中を手探りで右往左往しているようなものです。

物質的価値観と自分だけが大事という利己主義が間違いであると気づくことで、明るい未来は望めるでしょう。

今、出来ている事は、社会に出られず働けないものに対する生活支援としての生活保護費の支給と、精神科を受診させて効果もない(否、有害でさえある)薬を与えることと、それが長期化した場合、精神障害者と認定し僅かばかりの障害年金の支給を受けることぐらいです。

今すぐ、8050問題に対して抜本的な対策は見当たらないようです。

だからと言ってなにも手を打つことなしに傍観していてはならないと思います。

先ずは、今引き込もっている人に心から同情の意を示し、その苦しみを労い、人間とは”温かい存在”である、ということに気づいてもらうことのように私は思います。

 私達は自らが招いた負の遺産を抱えながら、苦しみつつ真の道を見いだしてゆく事となるのかも知れません。

 

健康問題と自己責任(その2)

今日は健康問題と自己責任の続きを書きます。

我が国は少子高齢化という、かって経験したことのない困難に直面しています。国家の存続にも関わる問題といえます。

医療費はひたすらに高騰し、ついに2018年度の概算医療費が42兆円を超えたということです。これは国家予算の44%に相当します。

医療費の高騰は少子高齢化だけによるものではありません。医療技術が進歩したこと、皆保険によって誰でも医療にアクセスしやすいこと、なども後押ししています。

今、政府は年金・医療・介護の社会保障全般を見直そうとしています。

例えば、75歳以上の後期高齢者は保険料の軽減措置を縮小しようとしています。

こうした取り組みで医療費の高騰に対処しようとしています。

しかし、ここにはそもそも人が病気にならないようにする、病気を予防して医療に罹らないようにする、つまり「予防医学」という視点が見られないのです。それでも、一昨年ようやく一部の有志議員による「明るい社会保障改革研究会」なるものが立ち上げられました。「予防、健康」づくりをうたっています。

現在の医療は病気になるのを待っているのです。病気にならなければ、医療は始まらないのです。

日本の健康保険では診断と治療のみを給付対象としているので、例えば糖尿病にならないと医療給付はできない、糖尿病予備軍の段階では医療給付は受けられないのです。

つまり医師は糖尿病予備軍の患者では保険点数を稼げないので、時間を賭けて丁寧な保健指導したがらないのです。お金にならないからです。

ある研究によると、糖尿病患者の4/5は、血糖のコントロールが出来ていない、病状の悪化を防げていないというのです。

その先にあるのが腎透析という最悪の結果です。

腎透析について少し述べてみます。

日本は「人工透析大国」なのです。

日本透析医学会の統計資料によれば、2017年の透析者数は33万人超えで、年間医療費は1兆8000億円ということです。これがどのぐらい途方もない額なのか、概算医療費が42兆円ということからも解ります。

精神疾患についても、患者数は28万人、年間医療費は1兆4000億円という数字です。

 

私の場合を見てみます。

病気を悪化させない、早い段階での適切な対処は出来ていたのであろうか。

私は40歳代から心臓の弁の異常を指摘されていました。しかし、そのときは自覚症状がなかったため、看護師であるにもかかわらず放置していました。担当医からも注意はありませんでした。

放置してなんらケアをしなければ将来どうなるか、これを考えられないという本当に情けない看護師でした。そして、今現在70代で心不全という状態です。それでも健常人の60~70%の機能は保持していますので、無理は出来ませんが日常生活にさほど問題はありません。

多分ほとんどの人は、譬え医療者であったとしても、私と同様な道を歩んだであろうと思います。障害が身に迫って初めて何とかしなければ、と思うのです。

今はしみじみ思います。人間はもっともっと思慮深くなければならないと。

しかし、これは医療のシステムの問題でもあるのです。

出来高払い」というシステムであり、(どれだけ検査をしたか、どれだけ薬を処方したか、どれだけ手術をしたか、などの医療行為に応じて診療報酬が得られる)優秀な医師でも、未熟な医師に懸かっても診療費は同じ、健康指導だけでは保険点数にならない、というものです。

 

予防医学」とは病気にならないようにする、という取り組みです。

スピリチュアリストの私が何故にこうした極めて現実的な問題に関心を示すのでしょうか。私は医療者でした。放っておける問題ではありません。

スピリチュアリズムは単に霊と精神に関する問題だけを扱うわけではありません。

人間は霊が主体ではありますが、さらに精神と肉体から構成されています。それ故に肉体は大切に扱わなければなりません。十分な知識と配慮とが必要なのです。

決して無視したり、軽んじたりしてはならないのです。

 

では「予防医学」にはどのような取り組みが必要でしょうか。

*現役時代から正しい生活を送ること。(もっと言えば幼少の頃からの)

 正しい生活に関しては何れ項を変えて書いてみようと思います。 

*検診などで早い段階で異常に対処すること。

 これにより、病気を予防したり重篤にならないようにできます。これこそ”自己責任”と言えるでしょう。(ただし、この検診なるものにも落とし穴があります。これについても述べる機会があれば、そこで書きたいと思います。)
誰かが導いてくれるのを待つのみではなく、各自が国民としての自覚のもとに責任の一端を担うべきと思います。

これこそが、医療費の高騰による国家の破たんを免れる手段でしょう。少子高齢化だけが問題の原因ではないのです。

  *実業家の堀江貴文氏を発起人として2016年に「予防医療普及協会」が

   活動を開始しています。

   どこまでの踏み込みが出来るか、期待するところです。

 

  

 

自己紹介

令和2年となりました。

明けましておめでとうございます。

皆さんはどの様な抱負を抱いて新年を迎えられましたか?
今日は自己紹介をいたします。

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近所の公園の白樺を背景に

私は長い間看護師として働いてきました。

その間、医療界の現実、そして様々な患者さんを通して人生模様を見てきました。医療の世界にはさまざまな問題が山のように在るように思います。

特に進歩したといわれる現代西洋医学の世界は、問題が複雑に絡み合ってすぐに手を打つことが極めて難しくなっております。背後には幾つもの利権が存在し、それは直接に目に見えなくても大きな影響をもたらしています。

また現場に於いてはあちらを立てればこちらが立たず、ということになりかねません。(こうした問題についてはこれからも少しずつ見て行きたいと思っています。)
医療に携わる者の責務は、ただ病める人・苦しむ人の荷を軽くするよう働きかけることのみです。
そうした中で、看護師として現実にできることは本当に悲しいぐらい僅かです。
それでも自分に出来ることは誠意を持って当たることを一番大切にをモットーとして歩んでまいりました。
しかし現実は過酷であり、徐々に疲弊感が強くなり体力的にも限界に達し、定年少し前でしたが退職しました。

看護学生のころから人間は何のために生まれて来るのか、死後の世界は存在するのだろうか、という疑問を持ち続けてきました。
修道女になろうか、と考えた時期もありました。また、ある宗教団体に属していた時期もありました。しかし、そこからは何ら疑問に対しての答えは得られず、却って苦しみを増す事態となりそこを去りました。
 退職し自由の身になってからの10年間は、あれこれと人間の心理・精神世界に関しての探究をする日々でした。

そのころ学んだ幾つかを述べてみます。

放送大学で4年間学ぶに並行して、心理カウンセリング、アートセラピー、ドリームセラピー、レイキ、ヨーガ療法などです。主に病める人に対するセラピーです。
いろいろ学んでみたものの、どこかしっくりきませんでした。真に自分の求めているものとは何処か違う、と言うか、どれも核心からズレているように感じたのです。
 唯一従事出来たのはヨーガ療法でした。
ヨーガ療法とは心身に問題のある人が、ヨーガの実践することで健康の回復に向けてゆく、というものです。

 クリニックでヨーガの指導をしている時、先輩のヨーガ療法士が私の友人の膝元に『シルバーバーチの霊訓』をそっと置きました。(私の膝元ではなく、隣に座っていた友人の膝元です!)
私はそれを横目でパッと見て、”私にもそれを読ませてください”と叫びました。
家に帰り貪るように読みました。そこに書かれている内容はどれも全て納得できることばかりでした。
自分がこれまでに求め続けてきた事柄が全て網羅されていたのです。
乾いたスポンジが水を吸い込むように私は一気に、潮文社出版の「シルバーバーチの霊訓(1)~(12)」を読んでしまいました。(ちなみに潮文社は廃業しました。スピリチュアリズム普及会で復刻版を出しています。入手したい方はアマゾンで購入できます。)大変な感動を覚えました。宇宙の謎が解けたように感じました。

それが、今から10年前のことです。

そして更に学びを深めるべく歩んできました。

『札幌シルバーバーチの会』を立ち上げ、月1回読書会を開催してきました。
未熟者ゆえにその道のりは容易いものではありませんでしたが、霊界の導き・守護を確信できるようになり、そして周囲の理解ある人々の温かい励ましにより、挫けることなく続けてこられました。

現役時代から体調不良はありましたが読書会を始めて8年経ったころには、さらに体調は悪化し世話人を降りました。今は一メンバーとして参加しています。

高齢であり身体的にも万全ではありませんが、可能な限り皆さんとご一緒に「霊的真理」の学びを深めてまいりたいと願っております。

ご意見などを賜りたく思います。
どうぞよろしくお願いします。

 

健康問題と自己責任について(その1)

今日は健康問題と自己責任についての私見を述べます。
私は今現在、万全の体調ではありません。が、気持ちは頗る元気です。

なぜか?それは生きる希望があるからです。生きる意味を実感できるからです。

あまり力まず、かと言ってだらだらと日を過ごすでもなく、今出来ることを誠意を持って従事しようと心掛けています。
私は大した取り柄も能力もありません。一介の看護師として生きて来ました。

そのような私でしたが老齢に差し掛かった頃、「シルバーバーチの霊訓」に出合いました。そこで今まで知り得なかった叡智に触れることが出来たのです。

 知ることが”遅すぎた”ということは決してありません。譬え、死の床に就いていたとしてもです。
「死」は全ての終わりではないことを、私はこの霊訓を通して学びました。死んでも人間は生き続けるというのです。この地上世界に生きるということは、永遠の霊界生活のための訓練、つまり人間として成長するための学校生活に当たります。
学校は学ぶために存在します。その基本の基本はどのような事柄かというならば、次のようなことと言えるでしょう。
「人間とは何か」「死とは如何なることか」「霊界は在るのか、在るとしたらどのような所か」「神は存在するのか、存在するとしたら、如何なる存在か」「では人間は何のために存在し、如何に生きるべきか」などです。

テーマに自己責任ということを挙げました。そして、今私の身体は万全ではない、と申しました。これは自己責任と言えるのでしょうか。
このことをこれから少し見ていきたいと思います。

私は子供の頃から頻繫に病気をしていました。2歳の時終戦を迎えて食べるものが不足し、栄養不足の状態で成長せざるを得ませんでした。周囲の人達、学校の教師達も結核でばたばた死んでいきました。私も幼い弟2人と共に結核になり半年間休学せざるを得ませんでした。その後も貧血、脚気、肺炎等を患ってきました。長じて看護師として働いてまいりました。
看護師の仕事は過酷であり、健康上の不調は時々ありました。そうして定年少し前に職を辞さざるを得なくなりました。更に、ここ10年間は幾つもの病気を体験することとなりました。
さて、全て私自身の至らなさゆえの不調であったと言えるのでしょうか。
自己責任と言えるのでしょうか。

確かに、暴飲暴食の果てに肥満、高脂血症、糖尿病、心筋梗塞など、いわゆる生活習慣病といわれるものは自己責任である、と言われてもしかたがありません。
病気、災害などの中には、本人の力だけではどうしようもない事があります。例えば、地震、台風などの自然災害、戦争、紛争などの人為的なもの、それから、インフルエンザ、その他の感染症もそうです。
更に、環境汚染による諸々の障害も挙げることが出来ます。
よく聞かれる言葉に「自分はガンになってしまった。なにも悪いことはして来なかった、何と運の悪いことか」と。

確かに沢山の善男善女が謂われもなく、病気に見舞われているように見受けます。
「神も仏もないのか!」と天を仰ぎ恨み言を申します。
地上的に見るならば、確かに本人には全く責任の取りようもないことのように映ります。それでも、永遠の人生ドラマからはまた違ったものが見えてきます。

あなたはどの様に思うかは分かりませんが、「カルマ」という因果律が存在するのです。これについてはこれから、触れる機会があれば取り上げたいと思います。
つまり、地上的な捉えでは理解出来ない永遠の摂理が存在し、それが今地上人生を歩んでいる私たちにも作用しているということです。

しかし、ここで勘違いしてはならないことがあります。
一つの例を挙げて考えてみましょう。

地震多発国に住む私たち日本人は、いつそうした災害に見舞われるかもしれません。
しかし、初めから諦めてしまってはならないということです。地震を防ぐ手立ては今のところ在りませんが、被害を最小にする努力を怠ってはならないのです。

先日、東京直下型地震震度7という地震が発生したという架空のドラマがNHKから放映されました。このような地震が起きる可能性は30年以内に70%の確率ということが、すでに知られています。

ご覧になったかたも多く居られることと思いますが、私たちはそうしたことに無関心であってはならないのです。日々の努力、工夫が必要です。
私はただちにブレーカーを見に行きました。恥ずかしながこれまでブレーカーなるを触ったこともなかったのです!

こうした努力により自分自身の運命をかえることも可能となるのです。如何とも仕様のないカルマ、宿命であるならば、それはそれとして受け止める心の姿勢が必要となるのでしょう。私はそのように考え、替えられない宿命ならば喜んで受けようと決めています。

このページを終えるにあたり、もう一度自分自身の病気に関して一言述べてみようと思います。50代中ごろから、管理職ということもあって、昼間の勤務にプラス、当直という仕事が加わり、心身ともに堪えがたくなってきました。
心臓への負担は重くなり、心房細動の発作の頻度が増して来ました。
この時点で退職していれば、あるいは今日の心不全の状態には至らなかったかも知れませんが(これは結果論であり本当かどうかは誰にも分りませんが)、その時は職を辞することはできませんでした。年金を需給する為には、後数年働く事が必要だったからです。

これは職を辞するか、あるいは心臓に負荷を懸けながら働き続けるかの選択です。
どちらかを選択しなければなりません。
人生にはこうした選択を迫られることは多々あります。そして、あの時違う方を選択していれば、などと”後悔”することも起こります。しかし、どちらを選択したところで、”後悔”をするかも知れません。
その時自分は精一杯考え抜いて結論を出したのだという自負心が必要となります。
その結果、負うべき荷は潔く背負って行こうと今は思っています。

 

 

 

スピリチュアリズムとは

初めまして。白樺と申します。

ブログの説明にも書きましたように、私は10年ほど前にスピリチュアリズムに出合いました。
それから紆余曲折を経て、さらに学び続けている高齢のスピリチュアリストです。 

さて、今日は初めての投稿になりますが、まずはスピリチュアリズムとは何か?ということを書いてみます。

皆さんもスピリチュアリズムという言葉はお聞きになったことがあるかと存じますが、多くの方は間違った捉えをしておられるように見受けます。
スピリチュリズムとは占いの一種とか、先祖の霊にお伺いを立てることとか、そのように理解しておられるようです。
初めに申し上げますが、スピリチュアリズムは全くそれらとは異なります。 

それではスピリチュアリズムとは何でしょうか。
私が知り得た範囲で説明いたします。

スピリチュアリズムとはイエスを中心とする地球圏霊界の高級霊達が結集して計画された人類史上初めての地球人類救済計画です。それは「霊的真理」を地上にもたらすことであり、地上人が理解し受け入れることを目的にした大プロジェクトであります。地球人類は長きに渡って「神」「死」「死後の世界」「人生の目的」について全くの無知に置かれてきました。あらゆる宗教、思想もこれらについて明確に答えることが出来づにきました。その為、人類は数々の悲劇のうちに過ごさざるを得ませんでした。
そして「物質至上主義」「利己主義」に陥り、地球に悲劇を蔓延させた来たのです。
戦争・紛争、発展途上国に於ける飢餓、対する先進国における飽食・美食による肥満・生活習慣病、貧富の格差、環境破壊、動植物への虐待、精神性の凋落等々、正に地獄の様相を呈するようになったのです。それでは、スピリチュアリズム運動はいつ始まったのでしょうか。

1848年、アメリカの片田舎のフォックス家に端を発しました。霊界通信と言われるものです。しかし、霊界通信はなにもこの時が初めてという訳ではなく、古代からそうした現象は幾らでも起こっていました。
日本では卑弥呼とよばれる人物も霊界からの通信を受けて政治をおこなっていた、と言われています。

スピリチュアリズム運動が、それらと区別される点は、霊界の高級霊が綿密な計画を周到に立てて、組織立った働きかけが始まったというところに在ります。
今、このように人類史上初めての貴重な霊的真理が霊界から地上に降ろされたということです。
(沢山の霊界通信が書籍となって出版されていますが、それらについては何れ紹介したいと思います。
あとは我々人間側がそれをどう受け止めるかにかかっております。知性をもって、そして思慮深く、賢明なる判断が望まれています。