一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

8050問題を考える

私の小学生時代は、一学年8人という山奥の学校でした。そこにはたった一人の男子生徒がいました。彼は毎日1時間かけてさらに山奥から通学していました。

ものすごく遅刻してです。そして教室に入ることなく、ず~と校庭で一人遊んでいました。先生も彼に教室へ入るようには強要しません。そうして一しきり遊んで、早めに下校します。そんな彼はその後どうなったでしょうか?

人伝えに聞いたところ、その地域では立派な一人前の青年になり指導的な立場に居るということでした。

今では落ちこぼれと言いますが、彼は引きこもったりはしませんでした。もっともその頃はどんな時代かというなら、戦後間もない頃でどの人も皆生きることに精一杯でした。引きこもったりしている時代ではありませんでした。
 前置きが少々長くなりました。

今、8050問題が浮上しています。
80歳の親が50歳の引きこもりの子供の世話をするという深刻な問題です。
2019年3月29日の内閣府による調査では40歳~60歳の引きこもりが61万3000人にのぼるというのです。彼らは就業経験があり途中で何かに躓いて引きこもったケースと、中学生、15歳ごろから引きこもり現在その年齢になったという者もいます。

そのうち気づいて立ち直ってくれるだろう、と楽観的な親もいたかも知れませんが、多くの場合なにもせずに居たということではないはずです。親や周りの人間は善かれと思うことはしてきたはずです。それなのに問題は実に深刻です。親が亡くなったら彼らは生きて行けません。

引きこもりは個人や家族に要因や責任があるのではなく、「社会構造の歪み」と捉える識者もいます。

すなわち、社会には問題を個人の責任としたり身内の者もこうした子供を持って世間に対して恥ずかしい、と行政や周りの人に相談をせず隠そうとする風潮があると言います。

ドイツでは「引きこもる子供」という話は聞いたことがない、とある文献に見ました。

この国では成人が18歳であり、子供たちは早く自立したいという考え方をするそうです。

成人してからの引きこもりに見られる傾向として、職場でよく叱られる、真面目である、残業が多い、人間関係を上手くを作れない、などがあります。

一頃よく耳にした言葉に「勝ち組、負け組」がありました。親たちは自分の子供は何としても勝ち組にしなければならないと、幼稚園の頃から習い事や学習塾へ通わせ、良い中学・高校・大学へと進学させ、良い企業に就職させる、という流れになんとしてでも乗せようとする。物質的価値観一色に染められていました。

そこから落ちこぼれたと感じた子供たち、そうした親や価値観に絶望した子供たちは、それらに抵抗することはできても、では次にどうしたら良いかが解りません。できることは「引き込もり」でした。

なかには生まれながらの障害のケースや、虐待や放任などの生育過程で適切な処遇(上記の落ちこぼれたと感じ、絶望した子供の心のケアを含め)をされなかった子供も多かったであろうと推察されます。

農水省次官が、かって同僚に語ったという言葉がネット上に紹介されていました。
「子供は上手く育たないものだよ」と。

現在の日本社会は物質的価値観から自由になれる人は希有な存在と言えるでしょう。みな多かれ少なかれ、この物質的価値観に絡めとられています。スピリチュアリズム普及会では  霊性教育」について言及しています。人間は魂を成長させるためにこの物質界に生まれてきました。霊的成長の指針となるのが「霊的真理」です。霊的真理に沿った生き方をすることが地上人生の目的です。 そして「霊性教育」とはスピリチュアリズムが教える育児・教育の事です。

現時点では、まだまだこうした霊的真理が社会に認知されていません。人間はどの様に生きるべきか、生まれてきた理由は何か、こうしたことが解っていないのです。

正に暗闇の中を手探りで右往左往しているようなものです。

物質的価値観と自分だけが大事という利己主義が間違いであると気づくことで、明るい未来は望めるでしょう。

今、出来ている事は、社会に出られず働けないものに対する生活支援としての生活保護費の支給と、精神科を受診させて効果もない(否、有害でさえある)薬を与えることと、それが長期化した場合、精神障害者と認定し僅かばかりの障害年金の支給を受けることぐらいです。

今すぐ、8050問題に対して抜本的な対策は見当たらないようです。

だからと言ってなにも手を打つことなしに傍観していてはならないと思います。

先ずは、今引き込もっている人に心から同情の意を示し、その苦しみを労い、人間とは”温かい存在”である、ということに気づいてもらうことのように私は思います。

 私達は自らが招いた負の遺産を抱えながら、苦しみつつ真の道を見いだしてゆく事となるのかも知れません。