一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

動物界に見る自然の摂理、そして美

f:id:gsirakaba:20200731144156p:plain

知床半島

地上世界は至る所に不調和、混乱が渦巻いており、私はいつも見ないように、聞かないように、と自分自身のうちに籠って謂わば世捨て人のごとく振る舞うという傾向にありました。私はそのように自分を捉えていました。。

最近あまり聞かれなくなりましたが、ぺシニズム(悲観主義)という言葉があります。厭世主義とも訳されており、この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観です。

しかし、私はそれとは少し異なります。どういうところがと言うならば、私は世捨て人のごとく生きているが世の中すべてことごとく否定ないしは諦める、ということではないという点です。つまりかすかな希望を抱いていたということになります。

ですから、私はペシミストではありませんでした。

 先日、「ヒグマを叱る男」というドキュメンタリーの総集編とも言えそうな番組を見る機会がありました。皆さんもご覧になった方がおられるかと思いますが、世界遺産“知床”の番屋に漁師として生きる80代の高齢の男性と、そこでヒグマと共存する暮らしを取り上げたものです。以前にも部分的に放映していて視聴してきましたが、この度再度見ることでとても感動しましたので、ここで取り上げたいと思います。 

多い年で年間の観光客数は188万人と沢山の人たちが訪れています。北海道に住む私も当然訪れたことがあります。別の時のブログでも紹介しましたが、私は動物、そして自然が大好きです。若いころは休暇といえばもっぱら登山でした。それも一人で、ということもしばしばでした。そんなときは本当に幸せを感じたものです。

番組では、ある年の知床は鮭の不漁が続き川への遡上もほとんどなく、ヒグマたちは飢えました。歩く力もなく砂浜に横たわり、かすかに頭を動かしています。そうして何頭ものヒグマたちはやせ細り飢え死にしました。その映像は本当に痛々しく、何とか助けてあげたいと思うほどです。しかし、漁師たちはそうはしません。それが自然界の掟だからです。

またある時は、浜辺を親子のヒグマが餌を求めてさまよいます。死んだ鮭を見つけ母グマは夢中で食べます。しかし、意外のことに子には一切与えようとはせず、子グマが口にしたのは母グマの口からこぼれ落ちた、ほんの小さな欠片だけでした。

そうして間もなく、その子グマは飢えて死んでしまいました。母グマは死んだ我が子を丁寧に嘗め回します。そこが山の斜面でしたから、子グマはそのまま転げ落ちてゆきました。母グマはそれを確かめると、静かにその場を去ります。

これはいったいどうしたということでしょうか?人間ならば、母は自分が食べずにたとえ飢え死にしたとしても子供を助けようとするでしょう。

しかし、母グマは自分が、親が、生き延びる道を選択するのです。自然界では親が死ぬと遠からずその子も死んでしまいます。ですから、まずは自分が生きのび、次の子に命を託すのです。それが自然の摂理なのです。実に厳しい掟です。

またもう一つの場面を紹介しましょう。

発情期を迎えた大きな雄グマが母子のヒグマの周りを遠巻きに徘徊しています。こういう時、雄グマは自分の遺伝子を残すためにその子グマを食い殺すことがあります。それで母グマは子を連れて大急ぎで山の奥へと逃げます。しばらくすると雄グマは何処かへ行ってしまいます。海岸でようやく子グマは母を発見し、さかんに甘えます。しかし、母グマは子を邪険に追い払うのです。“子別れ“です。子グマはそんなことを理解できませんから、何度も母グマに甘えて離れようとしません。すると、母グマが驚くべき行動をします。何と、母グマは座って(皆さんはパンダの授乳シーンをどこかでご覧になったことがあるかもしれませんが)あのようなスタイルで子供に授乳したのです。子供は十分におっぱいを飲み終えると、静かにそこを離れてゆきます。こうした場面を見るのは初めてではありません。以前、キタキツネも同じ行動をしていたのを知ってはいましたが、改めて動物たちの行動の神秘さ、気高さは胸を打つものがありました。

動物たちは本能でどうすべきかを知っているのです。「本能」、まさしく全ての創造主であられる神の力のなせる業です。

それにしても、同じ大いなる神の御業である人間のありようは、どうしたというのでしょう。

昨今、幾つかの先進国では子供には家の手伝いなど一切させずに、ただただ勉強だけさせます。生活の知恵は全く身に付きません。大人との付き合いは親と教師のみ、入社試験にも親が同伴します。そして社会人になってゆきます。人との付き合い方が分かりません。どのようにコミニュケートすればよいのか分かりません。当然、営業成績も上がりません。上司に叱られます。すぐにへこみます。翌日から出社してこなくなります。

まったくもって自立しておらず、到底どんな職業でもやっていけないことでしょう。こうして見ると、万物の霊長などと増長して動植物、自然界を支配しようとするなぞ、まったくもって身の程知らずも程がある、と言わざるを得ません。どうして斯くも悲しむべき有様になったのでしょうか?これはほんの一例です。

歴史を通して人間は科学の恩恵により、多くの発見、発明をしてきました。遺伝子を操作し、これまでにはなかった生命体を作ろうとします。また、宇宙への野望に力を注ぎます。科学が全てを解決してくれるかのように思い込み、宇宙を貫く摂理は見ない、聞かないという科学万能主義、さらに自分、自国の物質的利益第一主義に陥り、悲劇と混乱の地球を形成してきました。

今、世界は新型コロナウイルス問題に翻弄されています。これは人間の間違った考え、行為により自然界からのしっぺ返しであると思われます。何が何処が間違いであったのか、間違いは正せねばなりません。自然を敬い、どうすべきかを教えてもらうことにより、解決の糸口が見えてくると思われます。特効薬、ワクチンで問題が解決するようなことではありません。

私が今回、知床を取り上げたのは、なにも自然が驚異に満ちた美しさゆえだけではありません。人間が自然界と調和し、共存するその在りように感銘を受けるからです。ここでの暮らしはまさにそれが実現できているのです。自然はもちろん、言葉では言い尽くされない美しさです。魂を癒してくれる最高の美です。

ドキュメンタリーのタイトルに「ヒグマを叱る男」とあります。ここではヒグマによる事故(人体にたいする被害)は一切起きていません。
漁師たちはヒグマの直ぐ傍で作業をしています。数メートルほどしか離れていません。
彼らヒグマが人間に一定の距離以上に近づくなら「こら!」と叱るのです。するとヒグマたちはそこから離れてゆきます。ヒグマは日本国内では最強の陸上動物で、最も恐れられている存在です。しかし、ここのヒグマたちは人間を襲うことはしません。人間との接し方を、かれらの親たちがそうしてきたように学習して来ているのです。

これらの実態をユネスコの調査団が現地調査で知り、深い感銘を受けた様子も映像に映っていました。
人間と野生動物であっても見事に共存・共生できるのです。私達はここ日本においてもこうした実績を有しているのです。何と力強く、そして希望を与えてくれることでしょう。私は本当にうれしく思います。

初めに、“世捨て人”のごとく生きてきたと書きましたが今は違います。10年ほど前から、私は未熟ながらスピリチュアリストとしての人生を歩んでおります。
スピリチュアリズムとは何か、これに関しては私の第一回のブログに記しました。ここにもう一度簡単に紹介いたします。 

スピリチュアリズムとはイエスを中心とする、地球圏霊界の高級霊が結集して計画された人類史上初めての地球人類救済計画です。それは「霊的真理」を地上にもたらすことにより、「神」「死」「死後の世界」「人生の目的」について知ってもらうことです。それにより、地上世界に悲劇を蔓延せてきた「物質至上主義」「利己主義」から脱却することを目指しているのです。戦争・紛争、発展途上国における飢餓、対する先進国における飽食・美食による肥満・生活習慣病、貧富の格差、環境破壊、動植物への虐待、精神性の凋落等々の地獄の様相からの脱却です。

これなくしては今人類が直面しているコロナウイルスによる災禍、そして上に揚げた数々の悲劇の解決法はないと確信しております。

今回は動物界のみごとな仕組みに神のみ業を見て取ることができました。私達は今こそ、自然界から謙虚になって学んでまいりたいものです。ご一緒にたとえ歩みは遅くとも確実な方法をもって臨みましょう。