一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

宿命のドリル

孤独の猫 に対する画像結果

先日「あの世を味方につける生き方」という本を読みました。著者は美鈴という霊能者です。本の内容全体がどうであるかをここでは論じませんが、一つだけ考えさせられることがありました。「運命と宿命」というところです。
著者は言います。人はそれぞれ「宿命のドリルを持って地上にやって来る」という件(くだり)です。
これはつまり、人はそれぞれが成さなければならない宿題、あるいは使命を持って地上人生を生きるということです。前生、あるいは前々生で出来なかったこと、やり損ねたことを成し遂げるためにも今生の人生があると言います。

再生の目的は進化のためで、進化とはカルマの清算であり、魂の浄化であり、過去世からの果たせていない課題の成就です。そのために必要な運命が用意されており、用意され、というよりは自らが選んだ運命と言ったほうが良いでしょう。その運命を乗り切るために因果率の働きで数々の試練にあうのです。再生のもう一つの目的は“使命”の成就の為です。スピリチュアリストの再生の目的は、個人的なカルマの清算や自分自身の浄化(類魂の進化)の為だけでなく、それと同時にこの“使命”のためでもあります。

ここでは使命については触れません。
私が常に頭から離れないことがあります。「私は今生の人生で何を成し遂げようとして地上にやってきたのだろうか」ということです。これまでの過去世で、やり残した事、課題とは何か?
特に意識しなくてもその課題を解決するように霊界は導いてくださる、人生は自然にそのような道に導かれるのでしょうが、私はとても気になり考えずにおられませんでした。その結果、自分は「真に魂の底から、愛し信頼しあえる人間関係を築く事」であるように感じられました。

私の父親は頑固で自分勝手でDV男でした。母親は鈍感で優柔不断で愚痴ばかり言っていました。ここには夫婦愛も円満な家族関係もなく、当然信頼関係なぞありませんでした。こどもたちは本心を語るということはなく、ただただ親の顔色を見て生きていました。“家庭“とは如何なるのものかが全く分からずに大人になったように思います。

私は第二次世界大戦の最中に東京に生を受けました。戦局が怪しくなり東京大空襲がすぐそこに近づいて来た時、やっとの思いで北海道に逃れてきました。そのときの苦労を後に母が語ってくれたことがありました。「お前(2歳の私)を背負ったまま青函連絡船から飛び降りよう思った」と。その時の母の様子を後に私は想像してみました。多分こんな様子だったことでしょう。
背には2歳の私、片手には4歳の姉、もう片手には風呂敷包み、母の背後には6歳の兄がとぼとぼと歩いている、そして真っ黒い煙を吐く汽車で北海道に向かう。多分母は私の弟を妊娠していたことと思われます。では父はどうしていたのか?ということですが、父は10歳の姉が学童疎開で千葉の寺で生活していたのでそれを迎えに千葉へ立ち寄り、私達とは行動が別となったのです。

北海道での暮らしは本当に何もないところからのスタートでした。2歳か3歳の頃ですが覚えていることがあります。父が建てた家で、床は土の上に筵(むしろ)を引いただけ、壁も屋根もクマザサです。それだけです。そこに一家6人が暮らすのです。嵐が来なければ何とか雨風を防げたのです。そうして雪が降る前に近所の大工さんにお願いして、床のある家を建ててもらうことができましたが。

こんな暮らしでしたが、嬉しかったこともありました。何もない生活でありながらも、母が東京で購入してくれていた綺麗な着物を祭りの日に着せてくれたこと、毎年一度は母が手造りの洋服を作ってくれたこと、などです。私は子供の頃から奇麗なものが大好きでした。多分それは母がおしゃれ好きで、娘にも綺麗なものを着せたい、という気持ちからなのだと思われます。成長してからも、厳しい生活を強いられた時期でもなんとか少しでも綺麗でありたいという思いを持ち続けました。またナースの仕事をしていた時には誰もしていなかったことですが、ユニフォームにポケットチーフを欠かすことはありませんでした。私は今も綺麗な事、綺麗なものが大好きです。自分の庭を綺麗にし、家のなかも綺麗に保つようにしています。出来るだけ身ぎれいにして、他の人に不快を与えないように気を付けています。自分の身近な環境を、暮らす社会を、世界を綺麗にできるように何等かの働きができることを望んでいます。これは外面だけの話ではなく、内面の、魂の内側の美を希求しているのです。

私の子供時代はいじめの毎日でした。「都会から来た子」というレッテルを張り、恰好のいじめの対象とされたのです。そうして此のことは親にも教師にも言えませんでした。ひたすら耐えることのみでした。子供の時から友達はなく、いつも孤独でした。どこにも自分自身をさらけ出して気を楽にする所はありませんでした。あったとするならば猫と遊んでいるとき、それと住んでいる山奥の大自然の懐に抱かれている感覚に浸れるときであったように思います。どこまでも青く澄み渡った空を、降り積もった真っ白な雪の上に寝転んで眺めます。物音は一切聞こえません。静寂過ぎて宇宙の鼓動が聞こえます。自分は無く宇宙と一体の感覚になるのです。素晴らしい体験でした。

幼少のころの山奥での貧しく(当時は誰もが貧しかった)、且つサバイバルな生活、高校生になり一人での自炊生活のため栄養不良で脚気、更に炊事に使った炭火で一酸化炭素中毒で2度死にそうになったりしながら、なんとか死なずにやって来られました。成人してからの宗教教団での厳しい生活などをを通して、困難に耐えてゆく底力が培われたものと思っています。
私はこうして霊界から強くなれ、忍耐強く在れ、と鍛えられてきたのだと思います。

課題を達成することは簡単ではなく、厳しい試練が必要なのです。これでもか!というような試練が必要であったのです。 そして単に試練を受けるだけではダメで、それを乗り越えなければなりません。信頼することが出来きなかったなら、出来るようにならなければなりません。 愛することが出来なかったのなら、出来るようにならなければならないのです。

体験して来た事柄が間違っていた、ということを理解しなければ新たなスタートは出来ません。スピリチュアリズムの訓えはこれを強く自覚させてくれました。間違いは正さねばなりません。出来なかったことはやり遂げなければなりません。自分自身を作り変えるのです。
スピリチュリズム的人生とは、このように人間関係や社会の軋轢による葛藤を繰り返しつつ、過去世を含めてこれまでの人生で成しえなかった事を成就する生き方です。
私の中で大きな位置を占めていた課題である、対象を信頼する、愛する事の幾分かは達成できたように思います。スピリチュアリズム人生とはそう意味で厳しい試練の人生なのです。私は好き好んで皆さまを脅したりしようという思いは全くありません。ただご自身の人生の意味をご理解いただき、勇気を持って立ち向かって頂きたいと願うばかりなのです。

私は自分に課した課題を達成し、待っている類魂のもとへ帰還したいと思っています。類魂の仲間たちはきっと喜んで迎えてくれることでしょう。“おかえり!よく頑張ったね”

今度こそ本当の人間になりたいのです。“ミニチュアの神“とシルバーバーチが言う、本来の人間です。神の属性を顕現できる人間です。今生の人生は短いですがもう少しがんばります。神の願われる人間を目指して。

今回は不肖私の生い立ちなどを書かせていただきましたが、何某かの参考になればと思います。
地球上の全ての人間が作り変えられるならば、地上天国は出来上がるのです。一気に全ての人間が作り変えることは不可能です。が、気づいた者たちから、行動し努力することしか方法はありません。実に気の長い話ではありますが、人間は永遠に生きるのです。死んでも死なないのです。宇宙も地球も存続し続きます。そういう訳ですから、決して焦ることなく、倦むことなく努力してまいりましょう。