一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

希望ある未来に向けて~霊的真理を求めて

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令和4年になりました。皆さま明けましておめでとうございます。

人は死んでも死なない
先月に続いてまた夢の話から始めます。少し前になりますが、夢の中で私は叫んでいます。そこは葬儀場の様で、そこにいる人たちは黒い喪服を着ています。
「人は死んでも死なない」「喪服もいらないのです」と叫んでいます。

私達は嫌な事、苦しいことを避けて通りたがります。その中で特に「死」の問題に関してはなるべく避けたがります。自分や身内の「死」についての話題は、出来るだけ避けようとします。実際私の周りもそういう事が起きています。
どうやら「死」を受け容れられない、怖いということのようです。「死」は分離であり、消滅と捉えるからでしょう。これまでの生き方の変更を迫られることは辛いことで、考えたくないのでしょう。これまでの生活が永遠に続かない事など、少し考えれば解りそうですが、当事者は思考ストップしてしまっています。
「死」で全てが終わりとなり何も残らない、残るのは遺灰のみという考え方では到底心穏やかでは居られません。虚しさ・悲しさ・残念さに襲われて当然でしょう。
なかには心の奥に封じ込めてきた神、天国地獄の観念が浮かび上がり、恐怖に慄く人もいることでしょう。「自分は生きてる間、何も良いことしてこなかった、むしろ悪智慧を働かせて来たので地獄に落ちることになるかもしれない」などです。「死」が不安・恐怖となるのです。

今、人々は神とは遠く離れた存在になってしまっています。本来ならば神は私達人間の創造主、即ち親であります。其れなのに一体、何故、何時からこうなってしまったのでしょうか・・・。
魂の深い所では神の存在を知っています。本来、人間は霊ですが日常の生活では極めて物質的な視点で自分と周りを見ています。霊的なことが解らなくなってしまったのです。肉体だけが自分と思い込んでいるのです。そのため、幸せは物質的に恵まれていることと捉えているのです。物質第一主義であり、お金・物・地位・名誉・権力に価値おいた生き方です。
そこには神・魂・愛といった精神的、霊的な要素は組み込まれていないのです。
そして、日常的にストレスや葛藤の中で苦しむこととなっています。

「死」とはなにか?
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「死」とは地べた這っていた青虫が蛹を経て、美しい蝶になることなのです。自由に大きな空を駆け巡ります。
私達は「死」の関門をくぐり抜けて、果てしなく広がる霊の世界へと誕生するのです。それは美しく祝福された新しい世界での生活が始まる事なのです。美しく、温かく、心の底から安らげる永遠の世界です。

戦争はありません。貧富の差はありません。飢える者も病者もいません。
全ての人はそれぞれ適材適所に於いて楽しく働いています。お金は必要ないので、すべて友のため隣人のための奉仕です。

しかし、これには但し書きが必要です。上記のように喜びの境涯へ行けるのは、地上生活が良心に恥じない生き方して来た者に限るということです。悪行を行ってきた者はそれに見合った境涯へと進むことになります。神の意志に添った生き方した者と、その真逆の生き方した者がいる一方、そのいずれでもなく、ただ人生を無意味に送った者はどのような境涯に居ることになるのでしょうか。残念ながら、こういうケースはとても多いように思われます。

無為に過ごす人生の行き着くところ
確固とした意志を持たないで生きてきた、周りに流されるままに生きてきた、こうした存在はある意味で無用な存在と言えます。
こうした人は地上に在っても、霊界に在っても、「考える」ということを好まない。
「考える」ということは疲れることであり、考えずに物事をそのまま放置してしまっている、ゆえに向上も発展もない。無気力で怠惰に生き続けることとなるのです。

地上人生をこうした怠惰で無気力な生き方をして霊界に行ったある霊との対話から、その一部を紹介します。

問:地上にいた時は何をしていたのですか?
霊:何もよいことはしませんでした。

問:今、どのような境涯にいるのですか?
霊:退屈している霊たちと一緒います。

問:どうして、長い間、向上もせずに迷っているのですか?
霊:地上で生命の火を心行くまでしっかり燃やさなかったために、何か不全感のようなものが残っているのです。紙がちゃんと燃えないと、滓のようなものが残ってしまうでしょう?あんな感じです。霊に肉体の滓のようなものが付着しており、完全にエーテル体に戻れないわけです。純粋なエーテル体に戻ってこそ、始めて向上を願うことが出来るというのに。

問:あなたのように、退屈に囚われている霊たちは、止めようと思えばその状態から抜け出られるのではないですか?
霊:何時もそうできるとは限りません。というのも、退屈が我々の意志を麻痺せているからです。
      アラン・カルデックの「霊との対話」(天国と地獄Ⅱ)浅岡夢二訳 
         怠惰な人生に対する「退屈」という罪―――無為に生きた霊 P180

上記の問答中に出で来る、「退屈が意志を麻痺せている」という所は非常に重要な意味があると思います。怠惰・無気力は意志を麻痺せ、簡単には抜け出せないということです。放って置くなら、無限に続く苦しみとなり得るのです。霊界ではそれを何とか打開しようと、彼らを地上近くに連れてきて、地上の霊媒接触せます。迷える霊は他界後すぐには霊界へ行けず、気づきを得るまで長らく幽界にとどまり続けます。ゆえに地上人とは接触もしやすいのです。また、本人自身が苦しみを通して本当に向上したい、という気持ちが芽生えて来るのを待つことにもなるのです。

私はこの無気力・怠惰が日本全体を広く覆っているように思えてなりません。このまま放置して良いはずはありません。この厚い壁を突破するためには、それ相応の力が必要です。平和ボケという言葉があります。日本はあの大戦後77年が経ちました。この間、大きな災害がありましたが今の所、他国からの侵略という脅威には晒されていません。しかし、油断してはいけないのです。世界の動きを見て分かる通り、危険は迫り来ているのです。私達の安全は自分たちで守らねばなりません。

希望ある未来に向けて
私達は何時までも日本は平和だ、などと安穏と暮らしていてはならないのです。世界は戦火のやむことがなく、飢えや飢餓、人権侵害、そしてジェノサイドさえ未だに存続しています。私達の周りをご覧ください。例えばコロナ禍を見ても、問題解決の糸口さえ見い出せず人々は右往左往しています。職を失い自由が制限され、自殺者が続出しています。到底これを許してはなりません。
今私達は膨大な量の科学的知識を手にしています。政治家や学者たちもただ手を拱いているわけではないにもかかわらず、一向に問題解決が出来ません。原因は本質を見だせないからなのです。私達を本当に幸せにする知識が必要です。それは地上世界に関する事だけではなく、神と人間、そして地上界と霊界を含む広い知識です。地上界に関することだけでは、私達を真に幸せにすることは叶いません。こうした霊界に関しての正しい理解こそ最も求められる知識なのです。霊的真理です。霊的真理とは、遠い過去から我々人類が必死に求めてきた問に答えるものであります。
即ち、「人間とは如何なる存在か」「人間は何のために存在するのか」「誰がこの広大無辺の宇宙を創造したのか」「神は存在するのか」「存在するとしたら、いかなる存在か」これらの理解なくしては、すべては虚しい努力となって仕舞います。土台がないから、そこに組み立てられた上部構造は立ち行かないのです。
人類は永い歴史を経て進化してきています。求めるなら道は開かれてまいります。私達は勇気と希望を持って前進してまいりましょう。私達人類の明るい未来を目指して共に歩んでまいりましょう。    

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