一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

人間関係について

札幌にもようやく遅い春がやってきました。待ちに待った新しいスタートです。

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雪解けのフキノトウ

人間は社会的存在として造られていますから、一人では生きて行けません。必ず誰かと関わりを持ちながら存在し続けています。人生のサイクルともいうべき家庭、学校そして職場環境に身を置き切磋琢磨しながらそれぞれの段階を踏んでまいります。どの段階にあっても、人は幸せを求めます。私達はまずは衣食住という身体的欲求を満たし、次いで心情的には愛されたい、という欲求を持ちます。これは人間として当然の姿であり、何ら咎められるようなことではありません。

さて、ここで実際の在り様を見てみましょう。
私達は人間関係に於いて、第一に優しさを優先して求めてはいないでしょうか・・・。その結果、間違いや指導すべき所であってもそれをしない、「いいよ、いいよ、過ぎたことだから」などと言い、うやむやにし家庭では厳しさを嫌い、お友達親子になる、子供の言いなりになってしまう、しまいには子供の奴隷と化してしまうというありさまです。学校においても、教師は「そのうち気づくよ、自主性を重んじよう」などと言い甘やかし、指導らしきことは全くと言うほどなおざりにされたままです。これは職場でもまた然りです。子供や部下・後輩の人格を尊重しており正しいことである、という共通の認識が存在していそうです。しかし、それは違うと私は思います。「平等・公平」の使い方が間違っているからです。

人間としては子供であれ、乞食であれ(最近ではあまり使われない言葉ですが、都会の貧民街で物乞いする人たち)人格を有しており平等です。しかし役割としては親・教師・上司はそれぞれ果たなければならない役割があるのです。それを怠ることは責任の放棄となります。上に立つものの役割とは、下に立つものを教え導くことになります。間違いがあれば指摘してやらなければ、彼らは何時まで経っても気が付きません。「そのうち気づくだろう」など甘やかしていては好機を逃して後悔することとなります。
特に大人になってからは間違いを指摘することは、する方もされる方も辛いことです。しかし注意されることで反省することが出来ます。反省することなくしては進歩・向上は望めません。互いに辛いことではありますが、そこは厳しい愛の鞭、と真摯に捉えてまいりましょう。決して逆恨みなどしてはいけないのです。反省し謝罪することは大きな努力が必要で、勇気が試される時なのです。
優しさと厳しさ、これは両方が必要で、どちらかだけといことでは正しく成長することは出来ません。優しさと厳しさは丁度コインの表と裏の関係にあります。

責任についてですが、ではどうして彼らは責任を果たそうとしないのでしょうか?
子供に嫌われたくない、生徒たちに好かれたい、物分かりの良い上司でいたい。
子供、部下の事より自分が可愛いのです。自分第一なのです。自分が幸せなら他はどうなっても一切責任は取りません。取りたくないのです。自分が可愛いから、自己愛に陥っているからなのです。
とても厳しいことを申し上げました。
しかし、これらのことは現場における親や教師に全責任があると申しているのではありません。国家として、未来を担う子供たちをどのような人間に育ててゆくのか、という未来を見据えた展望を示せていない故の悲しい実情なのです。本当は親も教師もどのように指導するべきなのかが解らないのです。
とりあえず、国から示されたガイドラインに則って表面的な事柄に取り組むしかないのです。自分が育てられたように、あるいはそれを半面教師としてみなして子供を育てます。そして、周囲の人達がしているように、見様見真似で子育てをします。
周囲の人達、即ち世間は物質第一主義と利己愛に覆われていますから、当然、目先の目標は良い大学を出て、一流会社と言われるところに就職し、良い人と出会い結婚をする、子供を育て・・・・・、という流れに乗ることとなるのです。

こうして見てくると、親や教師も犠牲者に思えなくもないですが、当事者としてはそれに甘えていてはいけません。被害者意識ではダメで、当事者であるからこそなんとかしなければ、と奮闘努力が要請されるのです。自分が奮闘努力せずして、では誰がそれをするというのでしょうか?だれも居りません。いけない、と知りながら目を逸らす事を呼んで、それを「卑怯」と言います。

一人の人間のできることは本当に微々たることですが、自分に出来ることから、始めるしかありません。物事は一朝一夕には成しえません。これは真理です。コツコツと地道な努力をすることでしか、道は切り開けては行きません。

私は十数年まえに、スピリチュアリズムに出会いました。そこでは人間とは如何なる存在か?何のためにこの地球上に生まれてきたのか?どのように生きることが求められいるのか?死とはなにか?死後の生はあるのか?神は存在するのか?
こうしたことを学んでまいりました。
人類にとって極めて重要な内容が網羅されており、幾つかの言語で「シルバーバーチの霊訓」として出版されています。まさに「現代のバイブル」とも言うべき書籍です。関心のあるかたは是非お手にされて熟読されることを心より祈念いたします。

この地上生活は人間として成長・進化するための訓練場、学校でありますから、いつも安楽に暮らせるという風には創られていません。努力と苦労が必要であり、まさに山あり谷ありの茨の道でもあるのです。これを通過して人間は強く逞しくなれるのです。

人生の谷に低く落ちた人ほど高く登れるというのは真理です。もし今、貴方がとても深い谷底で苦しんでいるとしたなら、それは幸いなことです。あとは登る道しかないからです。登ことは本当に苦しいものです。登山の経験のある方なら、お解かりになるでしょうが、何のためにこんなに苦しいことを敢えてやっている?この答は十分に理解しておられることでしょう。

今回の内容は予てより書きたいと思ってきたことです。しかし、何分私には教育者としての経験は専門学校での僅かな経験しかなく、ましてや子育てという体験もなく、自信が持てませんでしたが、どうしても一声を発したく思い、書かせていただきました。充分に思うところを発揮できたとはいえませんが、お読みくださり有難うございました。

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          地球人類にとっての真のバイブル シルバーバーチの霊訓(一)