一スピリチュアリストの声

10年前からスピリチュアリズムを学んでいます。まだ学びの途中でありますが、これまでに学んだこと、経験をふまえて綴ってまいります。                                                                                    

永遠の旅人

          天国の花畑 | 植物 > 花・花びら | GANREF

「この世を旅する者であれ、この世のものとなるなかれ」と説かれましたが、死後生命への信仰心に欠ける地上の人間には、それを実践する勇気がありません。
                          シルバーバーチの霊訓(四)p19 潮文社刊
 冒頭にルバーバーチの言葉を紹介しました。
今日はこれについて考えて行くことにいたします。
「永遠の旅人」とは何でしょうか?
これはまず、人間は死んでも死なない、ということを理解しなければなりません。つまり、目に見えるこの肉体は死んでも、魂(霊)は死なないということです。
私達人間はこの地上にオギャーと言って誕生し、それから幾多の喜びや苦難を体験するという人生の旅をします。それと同じく、死んでこの地上を去った後も霊界で永遠に生き続ける、旅を続けるということを言っているのです。
 現代社会、特に先進国においては物質科学偏重の世界観に覆われているため、死後の世界を説かれても容易には受け入れがたいようです。科学がこの地球上の全ての問題を究明してくれる、今はまだわからない事であってもいずれ科学が解決してくれる、という考え方です。

ここで世界の宗教人口、および無宗教人口について調べてみました。
キリスト教:24億人
イスラム教:19億人
ヒンズー教:11億人
無宗教:13億人
 (2021年キリスト教研究所資料より)

 無宗教はどこの国に多いか気になるところであります。
このブログを見ていただいている方はお察しの通り、第一は中国で人口の6割強です。そしてなんと第二位は我が日本であるというのです。これは日本人の半数以上であります。ただ、無宗教と自認してはいるものの、その人たちの多くは何らかの精神的、信仰を持っているとされています。
その証拠に結婚式はキリスト教会で、お葬式は仏教寺院で、新年や七五三の祈願は神社で、という風にしっかりと宗教的生活を取り入れています。
また何気ない日常会話のなかでも、天国でまたお会いしましょうとか、今度生まれ変わったら何になりたい等々。
このように私達日本人はおぼろげながら、あの世(霊界)の存在や魂の存続を知っているのです。ただ、それはちょっと照れながら語り、更にアカデミックな場では決して口にしたりしません。
信仰心があることを何処か恥ずべき事のように取り扱っているのです。
科学的ではない、迷信であると後ろめたさを感じているようなのです。これは一体どうしたことによるのか。先に述べたように、物質万能主義、神など科学によって存在証明できないものなど居るわけはない、という唯物思想から来るのです。
しかし今現在は時代が進み、多くの有識者、そして科学者と言われる人たちの中にも人間とは肉体と精神と霊から構成されている、霊界は存在し死後そこで生き続ける、ということを表明するようになりました。
唯物論者の遅れた論理に惑わされてはならないのです。自分の理性・知性・感性を研ぎ澄まし、真実を知らなければなりません。これは何も宗教や信仰に関わることだけではありません。日々の生活全てにおいて言えることであります。

私は個人的には今、世界を混乱に陥らせているコロナ騒動についても真実を知って正しい対処をしていただきたいと思っています。無責任な情報に振り回されて、どうしようと右往左往してくたびれ果てている人々が沢山おられ、本当に痛ましいことです。
長い地球の歴史上、最大級ともいえる災難でしょう。今、どうしてこのような事態を招いたのか人類は悟らねばなりません。

 ここで今回のテーマである、永遠の旅の話に戻ります。
「この世を旅する者であれ、この世のものとなるなかれ」と冒頭に挙げました。これはどういうことかと言いますと、今私達はこの地球上に住み暮らしています。この世を人生という旅しているわけです。この世にはこの世なりの法、秩序があり、それぞれそれに従って生きています。しかし、それも地上の未熟な人間の智慧や経験から編み出した決め事であり、間違いや不完全なものであり、永遠の神の定めた摂理に沿わないものが多いのです。人間とは如何なる存在であり、如何に生きるべきか、これを理解してこの地上生活中に本来の在るべき生き方へと変換してください、ということなのです。

物質万能主義に汚染された現代社会では、何よりもお金第一です。お金と物さえあればどうにでもなる、幸せを手に入れることが出来ると勘違いしています。沢山の物を欲しがります。立派な家・高 級車・美食や飽食・高価な衣服や装飾品・地位や名誉を欲しがります。そうした物欲や名誉欲を満足させるために、他の人と競争しながら大切な人生をあくせくして地上人生を終えてゆくのです。
それが人間の在るべき姿なのでしょうか?違います。そうではありません。
しかし、人間はこの地上での人生だけしかない、死んだら全て終わりと思い込んでいるからそのような生き方をしてしまうのです。
”どうせ短い人生さ、大いに飲んで食べて楽しもうではないか”とは、その昔誰かが言い放った言葉です。現代人はこうした生き方を是としているのです。享楽的・刹那的な人生です。いえ、心の底からそのように思っているのではないのでしょう。が、どうしようもないという事なのかもしれません。
この世にあっても神の定めた永遠の摂理を理解して生きてください。そしてそれはすでにこの世にあってもこの世の者ではないということなのです。
迫りくる苦難もそれ相応の理由が存在します。スピリチュリストである私達は、それを 霊的視野に立って眺めるように努めています。どうかこれを読まれておられる皆さまもシルバーバーチの霊訓に触れてください。心よりお願い申し上げます。

 今、世界はコロナ騒動で大混乱の中に在ります。さまざまな意見や誠しやかなデマなども出回り、大いに混乱させられております。しかし私達は愚かであってはなりません。学者が言うことだから、権威ある者が言う事だから、と鵜呑みにしてしまうことは危険です。人類はこれまでの歴史に、そうしたことに惑わされて大きな間違いを仕出かしてきたことを見て取ることが出来ます。人間は何でも出来ると勘違いしてはなりません。まだまだ分からないことが多く在ります。神と摂理の前には謙虚であらねばなりません。

それでも私達は絶望することはありません。次のシルバーバーチの言葉をお読みくださいまして、心を落ち着かせて頂きとうございます。
 科学者のすることにも限界があります。どんなに間違ったことをしても地球全体を破壊してしまうまでには至りません。自然の摂理によって、地上でなされる被害は一部の人間が考えているほど恐ろしいものとはならないようになっているのです。しかも、究極的には大霊の意志が地上に行きわたることになっているのです。その計画を挫けさせられる人間は地上にはいません。遅らせることは出来ます。邪魔することもできます。しかし大霊を支配することは出来ません。
大自然の摂理の仕組みと働きについて幾ばくかの見識を得たわれわれは、いかなる事態が起きようと、あるいは人間がいかに愚かしいことをしでかそうと、大霊の意志は必ず行き渡るとの確信をもつことが出来ます。そしてその摂理によってますます多くの愛と哀れみと慈悲と互助とが地上で行使されるようになります。

                     シルバーバーチの霊訓(二)p151~153  潮文社